イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

セルジョさん

本日のLa Nuova紙を見ていましたら、顔だけは知っているセルジョ・フェーミオさんという漁師の方の顔が出ていました。伊語でspigola、ヴェネツィアではbranzino という、11㎏の鱸(すずき)を手掴みされたのが新聞のニュースになっているのでした。
セルジョ・フェーミオ私が勝手に私淑したのですが、法政大学建築学部の陣内秀信先生が書かれたり、話されたりしたヴェネツィア話を下に私のヴェネツィアおたくが始まったのでした。私が伊語を教わった小林惺先生と、陣内先生は同時期ヴェネツィア大学に留学されており、当時は少ない日本人で、ヴェネツィアに定住されていた別府貫一郎画伯の館で、よく酒盛りをされた、というお話を聞きました。その辺の事情については2011.10.15日のバルズィッザ館で少し触れました。

かつてNHKTVでレガッタに出場しようとする若者二人のドキュメントを見ました。東京オリンピックで来日したボートの漕ぎ手の選手の甥とその友人が、この伯父の栄光を得るべくレガッタの訓練に励むのですが、結局敗退します。舟の前を漕いでいた高校生の顔に記憶があって、数年前ヴェネツィアの運河でゴンドリエーレの顔にその面影を見て、問いかけてみると正にその高校生で、今ではゴンドラを所持する船頭さんになっていたのです。日本のTVに撮られたのは13年前のことだと昔を懐かしんで語ってくれました、とそんな事もありました。

昔見たNHKTV《世界 我が心の旅》ヴェネツィア編は陣内先生が主人公でした。先生はセルジョさんと知り合われ、この番組中セルジョさんの船での語りの場面が幾つかありました。そのセルジョさんがLa Nuovaの紙面を飾っていたのです。ニュースを訳してみます。

「 手で11㎏の鱸を捕る 
――セルジョ・フェーミオは船で帰宅途中、モーターボートに仰天した大きな魚を見た。73歳は魚を船に引き寄せた――

船で失神状態の鱸を見て、捕まえた。セルジョ・フェーミオにとって幸運な一日だった。漁師の家系でジュデッカ島で、この厳しいけれど魅力ある職業を続けて来た最後の漁師達の一人である。

73歳にも拘わらず、9日土曜日昼頃、帰途に着き、レデントーレ教会沖合の南ラグーナで、大きな鱸を水面上に見た。11㎏もあるものだった。かなり難しくはあったが、セルジョは魚を船に近付け、手掴みに成功した。少し前、猛スピードで通り過ぎたモーターボートが原因で、魚は失神状態で捕獲は易しかった。」

セルジョさんについては、河名木ひろし写真・文の『ヴェネツィア 麗しのラグーナ』(幻冬舎ルネサンス、2007.09.10)でも、写真入りで紹介されています。
  1. 2016/04/11(月) 23:00:25|
  2. | コメント:0
<<文学に表れたヴェネツィア: マーリオ・ソルダーティ | ホーム | カラヴァッジョ展>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

カウンタ

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

最近の記事+コメント

カテゴリー

ブログ内検索

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

このブログをリンクに追加する

過去ログ

フリーエリア