イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィア市長ルイージ・ブルニャーロ

昨日(04.21)国立西洋美術館の『カラヴァッジョ展』を見た帰り、銀座のヴェネツィア・レストラン〝バラババオ″に立ち飲みに寄りましたら、支配人の谷川さんが「ヴェネツィア市長が先日新宿の〝バーカロ″に寄って、こんなサインを呉れました」とおっしゃり、下のコピーを頂きました。「ブルニャーロさんは何しに日本に来たんですか?」と問うと、そこまでは聞いていません、とのことでした。バーカロやバラババオについては2011.12.24日のバーカロ(1)で触れました。
ブルニャーロ「我がヴェネツィアを思い出させる素敵な場所、2016年4月20日。」ヴェネツィア・レストラン『バラババオ』イル・バーカロ
帰宅してLa Nuova紙を検索すると、私が気付かなかった記事が見付かりました。ブルニャーロ市長が最近訪日し、その時、4月18日の記事です。次にその訳を掲げてみます。
ブルニャーロ「 町を活性化するために東京を訪れたブルニャーロ
――《私は幾つかの企画を準備している。目を覚ますと興味深そうに私を覗き込む市長ルイージ・ブルニャーロがいた、その時私は自己紹介した、ヴェネツィア出身のマウリーツィオ・ロッテルです……―― 

《私は幾つかの企画を準備している。目を覚ますと興味深そうに私を覗き込む市長ルイージ・ブルニャーロがいた、その時私は自己紹介した、ヴェネツィア出身のマウリーツィオ・ロッテルです。ムラーノのガラス芸術をあらゆるフォルムと表現様式を駆使し、もっと追究深化させたいと東京に住み付いて30年です。》彼は私に微笑んで、30分以上に渡って語ってくれた。マウリーツィオ・ロッテルは東京に移住した、芸術家にして実業家。結婚して2人の子がある。

支援活動プロジェクトの最初の町としてのヴェネツィアと合意したトヨタとの会合の後、日本の自動車会社のトップと会っている間、昨日市長ブルニャーロはイタリア産品フェア(イタリア展04.13~04.26?)開催中の世界でも有数の日本橋の商業センター(三越のこと?)に訪れた。

そしてそこで開催されるイタリア祭に何年も顧客達のために出品しているロッテルの作品が、スタンドのあちこちに展示されていた。彼との出会い後、市長もヴェネツィアの芸術家と彼の作品の写真をツイッター(twitter)に披露していた。

マウリーツィオは更に、《東京イタリア大使館の通訳に付き添われ、ブルニャーロは、私が旅の間に編み出した古くて、特殊な手法で創出した作品に大変興味を示した。ムラーノのアバーテ・ザネッティ校で私のテクニックを教えられる可能性についても話し合い、その詳細についてのヴェネツィアでの話し合いの場も約束してくれた。》

船や車の水素使用についてのトヨタのテクニックをヴェネツィアに持ち帰るべく、ブルニャーロは東京滞在を続ける。日本の自動車会社のヴェネツィアに対する可能な提案には、月に数回しか車を使わない大多数のヴェネツィア人に利用出来る"car sharing"サービスの車の提供ということもある。」 2016年4月18日、ジューリオ・デ・ポーロ記

かつてヴェネツィア市長で哲学者でもあったマッシモ・カッチャーリさんの講演を、一ツ橋の如水会館にて、東京大学主催で行われたのを聴講したことがありました。
  1. 2016/04/22(金) 20:15:45|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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