イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィア街案内(4)

(続き)
「右にあるセンサ海岸通りを行くと、橋の後、この未だよく知られていない地域に、かつて〝ルーチ″があった。そこはプラットの古き友人がやっていた居酒屋《ラ・ペルゴラ》があったが、残念ながら今はない。更に海岸通りを進もう。〝赤い(Rosso)" 橋を越すと,もし食事をしたければ、新しく出来た〝アニーチェ・ステッラート!″か、直ぐ近くに〝イ・クァランタ・ラドローニ″がある。後者はかつてラスプーチンの遠戚の者の所有だったもの。

その脇のカピテッロ通り行こう。橋を越すとサンタルヴィーゼ広場に出る。ここにはゴシック様式の同名の教会が建っている。内部は1600年代の改築の様子が見られる。ティエーポロの美しい画布とテンペラで描かれた1400年代の板絵は別にしても、我々に興味あるのは柱と扶壁柱で支えられた宙空の聖歌隊席で、1700年代に7本の鉄の格子が嵌め込まれ、立ち入り禁止の修道院を隠すように窓で守られている。
1280px-Chiesa_Sant'Alvise[写真はサイトから借用]   祭壇右の、厚い赤い幕で覆われた小さな窓の格子は、聖体拝領式の間、上述の修道女を守るのである。絶対者との婚姻に身を捧げたこの女達の世界を疎外されたその空間の中で対比出来るかも知れない(しかしある尼僧達は、家族から排除され、嫌々ながらやって来た、もしかすればある罪を贖罪するためかも知れず、また拒絶された色男達は元愛人の顔を盗み見ようと聖体拝領の時を待って教会に赴くということもあったかも知れない)。

そしてイスラムのハーレムに隔離される、そこでは魂の昇華とか喪失といった形とは逆に、香油、軟膏、香水、遊び、冗談といったもので突き動かされる情欲的な共犯関係・敵対関係が支配的なのである。事実、有力貴族の貴婦人達、家で最初娘は隔離されて、修道院に送られたという事を知る、しかし修道生活への召し出しがこの修道院組織を支えたものであったとは言えない。

サンタルヴィーゼ橋に戻り、マルヴァズィーア橋を渡橋し、オルメズィーニ海岸通りを進む。セレニッスィマ時代、上流階級に愛されたアーミンの毛皮(ormesin)やペルシャ風絹織物(ペルシャのホルムズ(Ormuz)到来)を作る工房があった(衣服は当然として、枕、シーツ、カーテンにも使われた) 。ここには親方連に大変好まれた居酒屋〝アンティーカ・モーラ″がある。

更にオリエント風の、小さなシリア居酒屋〝バラーダ″にも行ってみよう。そしてゲット・ヌオーヴォ橋を渡り、この区域に入ってみよう。ここは1527年、町に常住していた、更に町以外在住の全てのユダヤ人が集められ、次第にジュデッカ島に移って行った。こうして町の内部にアシュケナージ(aschenaziti―独系ユダヤ人)やスファラディ(sefarditi―西系ユダヤ人)、四散していた全ての子孫達が集まって来た。
Campo%20del%20Ghetto%20Nuovo,%20Venezia[写真はサイトから借用]  こうして再び集まった人々は、夫々のグループが引き継いできた、古い隠れた不思議な歴史を比較検討し合った。ここで彼らは違った言葉・方言を話した。種々の説話が融合し、坩堝となって、新しく研究者が更に隠れたものを見出そうとそこから出発した、賢者の石、ゴーレムを生み出すための生命の言葉(カバラの呪文)、ソロモン王の鍵(clavicola di Salomone)へ向かって。

(最古の呪文の全体は、スレイマン・イブン・ダウド〔Souleyman Ebn Daoud―砂漠を支配する者〕、即ちソロモン王に帰属し、聖書とはオリエントやエジプトの息子達の中で最高の賢者であり、魔人〔Ginn o Djinn〕、即ち善心と悪心に命令を下すことが出来るものであり、全自然という王国に恭順するのである。) 

これほど異質な地域では、どう少なく見ても特異で、確実に興味津々の人物に屡々会うのである。〝カバラ(Qabbalah)″学徒(ヘブライの言葉qabol―口承による聖伝から得た《智慧》から派生)、光彩の書"Sepher ha Zohar"や形成の書"Sepher Jetzirah"のように、ある文章の中に解釈の鍵を含有する、秘密の哲学体系を研究するラビ(律法学者)、そして魂の純粋性と秘密の呪文を通して、不老長寿の妙薬と物質の結合を変更し、銀を金に変化させる鍵を模索する錬金術師達である。

古くはゲット・ヴェッキオの門を閉める鐵柵のあった開廊を出ると、右の角、古い居酒屋〝ダ・ダンテ″のあった場所に、ヘブライ・レストラン〝ガン・ガン(Gam Gam)が開店した。 ……」 (5に続く)
  1. 2016/05/12(木) 00:23:38|
  2. ヴェネツィアの街
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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