イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアのユダヤ人

このガイドの特集に《ヴェネツィアのユダヤ人》という囲み記事があります。百科事典等にはゲットにユダヤ人を押し込めたのは1516年3月29日の通達によるとありますが、このガイドの筆者は1527年の事としています。

昔の事ですので色々異なった考え方があるようです。ある独文学者の本で、ユダヤの〝疎外″を意味する言葉がゲートで、そこから〝ゲットー″が始まったとする意見を読んだこともありました。このガイド本の考えを読んでみます。
Sinagoga_grande_tedescasinagoga1[シナゴーグ(ドイツ大教学館)、現在は博物館。サイトから借用――ヴェネツィア人にはシナゴーグ(教会堂)だとは言わず、ヴェネツィア人の同信会館(scola)のように教学館(scola)だと言っていたのでしょうか?] 
「海の支配を開始して以来、ヴェネツィアは数多くの外国人を受け入れ、歓迎したが、数多の人々と交易し、またサン・マルコの旗印は有効な擁護となることを意味するようになったので、他の人々に支援保護も提供した。これらの事は全て起源の古いことであり、亡命者に由来するものであった。こうしてヴェネツィア人は多くの異教徒を受け入れたので、町の発展に価値ある貢献となったようである。

その共同体は、ギリシアのものと同様に当然の如く夥しい数があり、ヘブライのものであったし、現在もそうである。時に受け入れられ、時に拒絶された。宗教的な熱中度に応じて、ユダヤ人が数多くヴェネツィアに定住した。12世紀以来セレニッスィマ共和国は、当時彼らが他の共同体に認められていたように、ある場所を提供することを決めた。こうしてユダヤ人が住み付いていたので、後にジュデッカと呼ばれることになるスピナルンガ島が許された。

1500年代半ば頃、元老院はカンナレージョのある島を許可した。そこには最終的にアルセナーレに移動する前の、セレニッスィマの鋳造場があった。そこでは鉄を溶融して大砲を鋳造(gettavano)していた。こうして、getto(ジェット―鋳造)という言葉の発音違いから、ghetto(ゲット)という最終的な共通語となった。
[アシュケナージ達(ドイツから下りて来たユダヤ人)は"ge"を〝ゲ″と発声し、ヴェネツィア人が彼らに合わせて"ghe"と表記したのでしょう]

しかし他の由来として、ghettoは分離を意味するタルムード本の"ghet"に由来するとか、ヘブライの中世タルムード学者の言う、宗教放棄を意味する"get"とか"gita"に由来すると断言する向きもある。……最初のコミュニティにやって来たのは、東方と西方のドイツ系ユダヤ人で、改宗せざるを得なかった可哀そうなマラーノ(Marrano)達も含まれる。
[1492年のスペインの財産略奪目的のユダヤ教徒追い出しはマラーノ(西語のマラーノは豚、キリスト教に改宗したユダヤ人の事)も含まれました]

共和国は決してユダヤ人に優しくはなかったが、彼らが他に抜きん出ている分野、商業活動や医療行為を自由に許した。しかしゲットの門の閉鎖とかキリスト教の祝祭の時は街を歩き回らない等の制約があった。

にも拘らずゲットは繁栄し、拡大の仕方も見付かった、と言ってもそれは建物の高さのことである。空間が必要だったので、ユダヤ人達はヴェネツィアの通常の階に更に更に上へと階を重ね、大胆にも信じ難い高さの建物を建てたのだった。
[ヴェネツィアの軟弱な地盤にも拘わらず、最高9階が存在したとか言われています]

結局ヴェネツィア政庁は、シナゴーグ(ユダヤ教会堂)は作らないという約束で、街のゲット島地区以外にもユダヤ人地区を作ることを許した。その地区は5つを数え、シナゴーグはないが、schola(スコーラ、scolaとも―教学館)と呼ばれる物はあった。最も古いのが1528年のドイツ大教学館。続いて4館、1532年のカントン教学館、1575年のイタリア教学館がゲット・ノーヴォ地区に、1538年のレヴァント教学館、1555年のスペイン教学館がゲット・ヴェッキオ地区に出来た。

スペイン・シナゴーグは1654年バルダッサーレ・ロンゲーナによって再建されたもので、最も大きな物であった。レヴァント教学館の外側の建造物もロンゲーナに帰属する。一方内部は、著名な木彫彫刻家アンドレーア・ブルストローンにより、1600年代末バロック式の修復の手が入った。」
  1. 2016/05/19(木) 00:05:31|
  2. ヴェネツィアの歴史
  3. | コメント:0
<<天正遣欧少年使節: 伊東マンショ像展 | ホーム | ヴェネツィア、櫂漕船マラソン>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

カウンタ

カレンダー

10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

最近の記事+コメント

カテゴリー

ブログ内検索

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

このブログをリンクに追加する

過去ログ

フリーエリア