イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィア街案内(5)

(続き)
「古くはゲット・ヴェッキオの門を閉める鐵柵のあった開廊を出ると、右の角、古い居酒屋〝ダ・ダンテ″のあった場所に、ヘブライ・レストラン〝ガン・ガン(Gam Gam)が開店した。カンナレージョ河岸通りを右へ行こう。そこにフランス大使館だったスリアーン・ベッロット館が建っており、モンテギュ仏大使の秘書だったジャン=ジャック・ルソーが住んだ。
スリアーン・ベッロット館ルソーの碑[サイトから借用―ルソーについては、2009.03.21日のジャン=ジャック・ルソー(1、2)で触れました。] 続いてカザノーヴァの友人であり、援護者であったデ・ベルニス司教が住んだ。カザノーヴァは司教とムラーノの二人の修道女とのアヴァンチュールを楽しんだのだった。彼は1800年代に崩れたマドンナ・デッロルトのヴィゴンザ館に引っ越した。上記の館の前には、オルソーニのモザイクの工房に通じるソットポルテゴ・デイ・ヴェデーイがあり、そこのモザイク職人は、タイのゴールデン・パゴダからバルセロナのガウディのサグラダ・ファミリアまで全世界の重要な仕事に1900年初頭から呼ばれている。
Francesco_Guardi[フランチェスコ・グァルディ画『トゥレ・アルキ橋』]  この河岸通りを行くと、全ヴェネツィアで唯一の3アーチ橋(トゥレ・アルキ)があるが、『ヴェネツィアの民話』の中で水に映る一つの光景を思い出させるものである。
[私はこの橋の前にあるアパートから、スリアーン・ベッロット館の前を通り、3ヵ月語学校に通ったので、この近辺は大変懐かしいです。]

(サン・ジョッベ教会が)ピエートロ・ロンバルドと彼の工房の手になるものとしても、あまり知られていない教会を訪れたいならば、トゥレ・アルキを渡橋すれば、直ぐにこのルネサンスの宝石に出会える。左の第2礼拝堂の天井はデッラ・ロッビアのテッラコッタで飾られた聖具室は本当に素晴らしい。サポネッタ橋の向こうに小さな〝ダッラ・マリーザ″の食事処がある。
サン・ジョッベ教会[サイトから借用―サン・ジョッベ教会についてはシェイクスピア関連で2010.06.26日のヴェネツィアの建物で触れました。]
Ponte_delle_Guglie[グッリエ橋、サイトから借用] 先程通過したカンナレージョ河岸通りに並行して走る対岸のサン・ジョッベ河岸通りに戻り、その終点でグッリエ橋を渡り、サン・レオナルド埋め立て通りに入る。この通りには活気ある露天市が立つ[毎日魚屋、八百屋等……]。道の両側には色々のバールや食事処等が快適な空間の姿を見せるのだが、左側の、町での珈琲焙煎の最新の店の前で立ち止まってみて欲しい。ジュートの袋が堆く積み上げられ、珈琲の芳香が酔い痴れそうに漂い、芳味の珈琲だけではなく、最高のフラッペまで味わうことが出来る。

この近辺には沢山のレストランや居酒屋があったが、それらに代わって今や急流のように急ぎ行くマス化した旅行者によって容赦なく様変わりしてしまった。コルト・マルテーゼの時代、素敵な居酒屋があってそれぞれ独自の料理(スペチャリタ)で特色があった。〝ダル・ブリンディズィーン″には佳味な薄切りサラミソーセージと〝フォレスト(外国産)″酒、マンドゥーリアかトゥラーニがあり、タンニンのくすんだ赤色で、白い大理石の台に丸い赤のシミを付けたものである。

〝アル・ガート・ネーロ(黒猫)″は、老人達が御贔屓で、時間によって、また身体の調子で、只管黙っていたり、口角泡を飛ばすお喋りだったりだった。ダ・ブルーノには内臓(spienza)や第1反芻胃(rumegal)、トリッパ(牛の胃)を戸外で食べさす〝アル・スカリネート″があり、いい季節には黄色紙のテーブルクロスの上にこの酸甜滋味なる物が供された。

伝説的な揚物屋〝アッラ・ヴィットーリア″はポレンタやフライにする魚用の大きな俎板を備えているが、魚はラグーナから直に届き、新鮮である。居酒屋〝アッラ・カンパーナ″は客垂涎の的を揃え、〝ジャンバーラ″は魚が本当に美味しいレストランである。」 (6に続く)
  1. 2016/05/26(木) 00:01:49|
  2. ヴェネツィアの街
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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