イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの建物: ブラガディーン・ファヴレット館他(1)

ペスケリーア(魚市場)の建物を過ぎ、16~19世紀の6軒の住宅建築を右へ越すと、モロズィーニ・ブランドリーン館となります。E.&W. エレオドーリ著『大運河』(1993年)は次のように説明しています。
モロズィーニ・ブランドリーン館「ゴシックの大きな建物、サン・カッスィアーン教区にあるモロズィーニ分家によって建てられた物。1層が崩れるなど手酷い扱いを受けたが、中央の素晴らしい六連窓が残り、その上の階は入り組んだアーチである。両脇のオジーブ式の1面窓は細かく彫られた長方形の枠の中に収まっている。」
ブラガディーン・ファヴォレット館更に右へ上ると、ブラガディーン・ファヴレット館(茶色の低い建物)に出ます。上記の『大運河』はブラガディーン家を次のように紹介しています。
「数多いブラガディーン家の館の一つである。ピアーノ・ノービレの美しい四連窓のある14世紀ゴシックの建物で、ヴェーネト・ビザンティン様式から、より古い建物が存在したことが、ファサード両脇の片面窓の枠取りから覗える。

続いて色々、手酷い扱いを受けた。現在はホテル・サン・カッスィアーノである。ここにかつて画家ジャーコモ・ファヴレット(1849~87)が住み、ファサードにその碑がある。

ブラガディーンの最初の姓名はイパートである、8世紀に改名した。ヴェネツィアの基礎を作った24の〝ヴェッキア(古い)″家系の一つで、初期から現在まで未だに続く一家として、セレニッスィマの全歴史に繋がっている。というより4つの〝エヴァンジェーリコ(福音史家の)″家系に属しており、725年のヴェネツィア創立決議書にサインをした。
[ 24の家系: バドエール、バゼッジョ(ブラガディーン)、コンタリーニ、コルネール、ダンドロ、ファリエール、ジュスティニアーン、グラデニーゴ=ドルフィーン、モロズィーニ、ミキエール、ポラーニ、サヌード、バロッツィ、ベレーニョ、ベンボ、ガウリ、メンモ、クェリーニ、ソランヅォ、ティエーポロ、ザーネ、ゼン、ズィアーニ(ソラモーン)、ゾルズィ]

ビザンティンの皇帝(Basileus)の同意を得て選ばれた2人の総督の後、オルソ・イパート[在位726-737。737-742年は総督が選ばれず、軍団の長に政治は委ねられた]は、完全な独立の中で当時の首都であったエラクレーアで726年ヴェネツィア人だけに選ばれたので、初めてのヴェネツィア人の真の総督と考えられる。

新生共和国の重要性として、オルソがビザンツを一つの敵としてしっかり自覚しており、ヴェネツィアが生き残っていくにはそれは宿命的な存在であったに違いなく、ビザンティン人の保護から切れることによって生じるマイナス効果を軽減するために、ラヴェンナから敵ランゴバルト族を追い払い、ビザンツに救いを齎したという事実が特筆される。

742年に選出された2番目の総督はまだイパート姓のテオダート[テオダート・イパート、在位742-755]で、彼は首都をより安定した地帯、マラモッコに移した。 ……」 (2に続く)
  1. 2016/06/16(木) 00:33:10|
  2. ヴェネツィアの建築・建物
  3. | コメント:0
<<ヴェネツィアの建物: ブラガディーン・ファヴレット館他(2) | ホーム | ヴェネツィアのゲット>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

カウンタ

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

最近の記事+コメント

カテゴリー

ブログ内検索

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

このブログをリンクに追加する

過去ログ

フリーエリア