イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの建物: ブラガディーン・ファヴレット館他(2)

(続き)
「前記(1)で見たように、この一家(イパート/ブラガディーン)は他の家族と同じように、他のヨーロッパの一家が誇りに足ると思い得る、それ以上の古さを記憶に留めている。この一家から、管理の専門家、外交官、特筆すべき司令官が輩出、中でも1400年代キプロス島(Cipro)を征服したアンドレーア、とりわけ有名なのは不運だったマルカントーニオである。
Elsa e Wanda Eleodori『大運河』(1993)彼は重要な任務の数々を引き受けた後、50歳足らずで、町の最も悲劇的な瞬間に、ファマグスタ(Famagosta)の為政者だった。トルコ軍はニコシアを攻め落とし、2万の住民を虐殺した後、町を攻囲した。1年に渡る激しい攻撃と砲撃で、トルコ軍は10万以上の死者、守るヴェネツィア人は7千の命を失い、700の人々が衰弱し、飢えに苦しんでいたが、死守は責務だった。

この時点でララ・ムスタファは名誉ある降伏を提案した。女・子供達の要望に応えて(さもないと、ニコシアの人々のように皆殺しに遭うかも知れなかった)、総大将マルカントーニオは提案を受け入れた。しかしその前に、彼は親しい人達への手紙や総督に最後の報告を書いた。それは夜の内に攻囲軍の向こうへ、そしてヴェネツィアへ、早船で届けることが出来た。そして10日後、運命の1571年7月31日の朝、彼は部下と共に捕らえられた。

しかしトルコ軍は、イスラム教徒兵士の夥しい損失から凶悪になり、約束を反故にした。キリスト教徒全員惨殺され、当然ヴェネツィア指揮官も同様である。ムスタファは個人的にマルカントーニオの耳を削いだ。それから15日間、過酷で残酷な体刑で責め続け、ヴェネツィア人に慈悲を乞わせ、共和国の軍事機密の吐露を要求した。

このまだ息のある英雄が譲る事はないと分かった時、ムスタファは生きたまま彼の皮を剥がさせた。残酷な責め苦は、ゆっくりと全身の皮膚全てが剥ぎ取られるまで続いた。マルカントーニオは呻き声も上げず、死刑執行人達の顔を凝視しながら、命が尽き、事切れた。

復讐の貫徹のために、皮は鞣され、中に麦藁を詰めて膨らまし、トルコ軍の旗艦の旗竿に吊り下げられてコンスタンティノープルに持って行かれた。数年後、ヴェネツィアの〝指揮艦船″がそれを盗み、ヴェネツィアに持ち帰った。今ではサンティ・ジョヴァンニ・エ・パーオロ教会のマルカントーニオ・ブラガディーンの埋葬建造物を飾る棺に納められている。

この皮膚をくすね取ってきたジローラモ・ポリドーロが1587年2月13日元老院に書いた長い手紙の文章を数行引用する価値はある、即ち司令官の恐ろしい最期から7年後、《私、ヴェローナ出身のヒエロニムス・ポリドーロはセレニッスィマの仕事で奴隷となり……そして奴隷時代の私の献身は忘れられないが、どんな危険な目に遭うこともなく、あの幸運の殉教者だった。当時コンスタンティノープルの外交官(Bailo)だった高名なるティエーポロの願いで、あのブラガディーンの皮膚を造船所の箱から取り出し、布に包み隠し、著名なる Bailo の元へ無傷で無事に届けた。価値ある、勇気あるこの行動は確実に死を意味するが、あなた方の総督に限りない献身の思いを捧げるものです。

聞くも悍ましい事がわが身に起こったが……この正当なる盗みの事をトルコのお偉方に許しを乞うものである、私は幾度となくその事で苦しんだ……誇り高い苦悩、それが故に何日も何日も、腹や背中を殴打され、踝から上は縄で苦しめられた……私の身体の自然は打ちのめされ、私は去勢男になってしまった。

こうした苦しみの後、全てが壊れ、破壊され、乞食の身に堕ちた……私は最終的にあなた方の総督の足下にひれ伏します。閣下を希求致します……》。ポリドーロは月に5ドゥカートの年金を得た。」
  1. 2016/06/23(木) 00:04:08|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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