イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

エレオノーラ・ドゥーゼ(1)

前回、カテリーナ・コルネールとアーゾロの関係について触れましたが、アーゾロでもう一人忘れられないのは、20世紀前半の大女優エレオノーラ・ドゥーゼ(1858.10.03ヴィジェーヴァノ~1924.04.21米国、ピッツバーグ)です。彼女は仏国サラ・ベルナール(1844~1923)、英国エレン・テリー(1848~1928)と共に、当時のヨーロッパ3大女優と謳われたそうです。シェイクスピア女優としてのエレンは、マクベス夫人とも愛称され、演出家の息子ゴードン・クレイグの母でもありました[『ゴードン・クレイグ 20世紀演劇の冒険者』(エドワード・クレイグ著、佐藤正紀訳、1996.11. 平凡社)参照]。
ドゥーゼベルナールエレン・テリー[左から、エレオノーラ・ドゥーゼ、ジョルジュ・クレラン画のサラ・ベルナール、ジョン・シンガー・サージェント画のエレン・テリー。3者、サイトから借用]
灰の1灰の2[2001年イタリア年の『イタリア映画大回顧』図録より] 私がエレオノーラの演技を見たのは、2001年の初の日本におけるイタリア年の時、京橋の国立近代美術館フィルムセンターで見た無声映画『灰』ででした。彼女については、2009.01.17日のブログルーカ劇場で触れました。B. ロザーダ著『Donne veneziane(ヴェネツィアの女)』(Corbo e Fiore Editori)から彼女の生涯を辿ってみます。

「《おゝ、偉大なるアマチュアよ》。それは22歳のガブリエーレ・ダンヌンツィオがエレオノーラ・ドゥーゼに向けた最初の言葉に違いない。1885年の夕べ、ローマの劇場の幕間で、舞台の袖で、彼に突然泣かされたのだった(何故かは分からない)。その神話が真実ならば、ヴァッレ劇場の3月2日の夕べの事だろう。そこでエレオノーラはデュマの『ドゥニーズ』を演じていた(カミッロ・アントーナ=トラヴェルシの言うように『椿姫』ではなかった)。

その最初の束の間の出会いから(しかし詩人の言葉は、既に新しい、初々しい接吻の希求を表している)、歴史が伝えるように、その後、大いなる愛が始まる。他人に対する限りない愛のみならず、何しろ多くの人々の意見にあるように、その愛は女優エレオノーラ・ドゥーゼの美点を隠してしまうようなものだから。後と言っても9年後のことである。ダンヌンツィオとの最初の出会いのその頃、ドゥーゼはアッリーゴ・ボーイトに完全に心を奪われていたのだから。

本題に入ろう。エレオノーラはヴェネツィアで誕生したのではない。ヴィジェーヴァノに生まれた。しかしそれは偶然のことで、世界を巡業して回っている役者で、キオッジャ出身の両親からである。キオッジャで4歳の時、デビューした。ヴィクトル・ユゴーの『あゝ無情』の劇場版のコゼッタ役である。

キオッジャとヴェネツィアの感性的なアイデンティティを考えると、キオッジャ人とかヴェネツィア人とかいうことには、然したる違いはなく、誰も何も盗まれることはないし、エレオノーラ・ドゥーゼをヴェネツィア女として紹介しているようなものである。何度となくヴェネツィアに対する愛を言明しているから、結局それは、彼女のヴェネツィア性であって、養子だとか言えないが、正にそこが由って来る所である。

そして彼女はヴェネツィアに長らく住んだ(当然女優としてであり、巡業の合間の休息時である)。大運河のサン・ヴィーオとサルーテの間のサン・グレゴーリオ教区の古い館バルバロ館で、屋根最上階にオジーヴ式の大きな窓があり、そこから全市が見渡せた。
カ・ダーリオ旧聞に属するその年月の事を次のように語る人がいる。《エレオノーラは骨董的家具は僅かながら、夥しい絨毯で調度を整えていた。部屋に辿り着くまでの長い階段の脇には、緋色の織物が上から吊り下げられていた。》 館の所有者はロシア人の紳士で、アレクサンデル・ニコライエヴィチ・ムロンゾフ(Alexandre Nicolaievitch Mouronzov―あるいはヴォルコフVolkov)、更に詳しくは、サインする時のようにルソフ(Roussoff)という名の類稀なるインテリで、貴重なる絶品の収集家であり、大変仰々しいタイトルの本『批評の中での大まかな事』の著者で、彼女に甚大な影響を及ぼした。

そしてこの人物の興味のお蔭で、エレオノーラ・ドゥーゼはロシアへ最初の巡業をして、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット(Giulietta e Romeo)』で、1891年5月4日サンクトペテルブルグ(San Pietroburgo)のプティ・テアトル(小劇場)で大成功を収め、ベルリン(Berlino)やパリ(Parigi)への道を切り拓いた。 」 (2へ続く)

ニュースによりますと、イタリア、ラツィオ州リエーティ県アペニン山脈ラーガの山々の麓、特にアマトリーチェ近辺を中心に、24日未明マグニチュード6.2の大地震があり、大被害が発生した模様です。イタリア・ブログを書いている者として、現地の方々にお見舞いの意を表明致します。追記: 267人(8月26日)が亡くなられたそうです。お亡くなりになった方々に哀悼の意を表します。200名以上の方が瓦礫の中から救出されたそうです。更なる救出を願うばかりです。
  1. 2016/08/25(木) 00:02:14|
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プロフィール

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは十数年前。ヴェネツィアには即一目ぼれ。
その結果、伊語勉強のためにヴェネツィアの語学学校に何年間か数ヶ月通いました。
その後もヴェネツィアを訪れるたび、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら書くのが楽しいのです。

*図版はクリックすると拡大されます。

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