イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――篠田真由美著『水冥き愁いの街』

篠田真由美さんの『水冥き愁いの街(みずくらきうれいのまち)――死都ヴェネツィア 龍の黙示録』(祥伝社、平成18年5月20日)というノン・ノベルの、壮大なスケールで描く吸血鬼伝説《龍の黙示録》の一冊に、ヴェネツィアを舞台にオドロオドロした物語が展開します。筋は直接読まれることとし、氏のヴェネツィア知識の豊富な一端を以下に若干引用させて頂きます。

「……イタリア語で広場は通常ピアッツァという。だがヴェネツィアでピアッツァの名をもって呼ばれるのはピアッツァ・ディ・サン・マルコのみで、市内に散らばる大小の広場はすべて本来は畑の意味を持つカンポの名が当てられる。水路が道の代わりであったヴェネツィアでは、家は基本的に水路に入り口を向けて建てられ、中央に残された土地は耕作されて畑になっていた。高密度の都市となり、畑が消えて何百年経とうと、過去に由来するヴェネツィアの地名が変わることはない。
水冥き愁いの街唯一のピアッツァ、サン・マルコ広場は昔もいまもヴェネツィアの中心だ。市場や芝居小屋が立ち並び猥雑な活気に溢れていた共和国の時代から、観光都市として整備され街全体が生きた美術館と化した現代まで。」
……
「ここはヴェネツィア本島の東端近く、サン・ピエトロ島と呼ばれる地域だ。
都市の中核である魚形の本島は、実のところ橋で繋がれた数十の小島の集合だ。呼び名は『運河』でも、土地に水路が掘削されたのではなく、浅い泥と砂の潟(ラグーナ)を流れる天然の水流を残して、その周囲を埋め立てて土地にしたもの、それがヴェネツィアなのだ。

魚の尾びれの中央部、旧国立造船所の東に正方形をやや崩したような形のサン・ピエトロ島も、ただ二本の橋でそれ以外の地域と結ばれる。島の中心部に建つのは、サン・ピエトロ・イン・カステッロ聖堂。それに隣接する旧総大司教宮殿の中の一室で、女ふたりのひそやかな交歓が行われている。

サン・ピエトロ・イン・カステッロ聖堂は、ローマ・カトリック教会における職制の中でも非常な高位である総大司教の座のある教会、カテドラーレである。

ヨーロッパを旅した人間なら、中心部の繁華な広場に面して信仰の中心である司教座聖堂(カテドラル)と、政治の場である市庁舎や王宮がそびえるのが中世からの都市の典型であると気づいたことであろう。ところがヴェネツィアのカテドラルは中心どころか、訪れる人も余り多くない東端部に置かれている。

サン・マルコ広場に金色燦然たる正面を向けて、共和国の政治を司った元首宮殿に並んで威容を誇るサン・マルコ大寺院は、しばしば誤解されるがカテドラーレではない。いかに著名ではあっても、教会内のヒエラルキーではそれは元首の私的礼拝堂という位置づけになる。
[サン・マルコ寺院がヴェネツィア大聖堂と呼ばれることになるのは、共和国がナポレオンに滅亡させられ(1797年)、総督の私的礼拝堂ではなくなり、1807年司教座が置かれたことに始まります。カトリックでは司教座が置かれた教会は大聖堂(Duomo)と呼ばれ、それ以外は単に教会(chiesa)ですので、例えばアッシージの聖フランチェスコのサン・フランチェスコ教会は、守護聖人聖ルフィヌスのアッシージ大聖堂より格段に巨大でも“教会”です。]

事実サン・マルコ大寺院の運営は、政府が選んだ役人によって行われ、集まる莫大な寄付にヴェネツィア総大司教は一切手をつけることが許されなかった。つまりこれほどにかつてのヴェネツィア共和国での、政教分離、より正確にいうなら教皇庁からの独立を形で示す事実もないのだった。」
……
「共和国が繁栄を極めた時代、もっとも重要な祭典は『海との結婚』、壮麗な御座船に乗った元首が舳先から結婚の指輪を投じて、共和国と海との祝福された繋がりを確認するものだった。祭りとは決して個人的な楽しみごとではなく、国の内外に向かって発信する優れて政治的な表現だったのである。

謝肉祭と仮装、仮面が盛んになり、訪れる外国人にも知られるようになっていったのは18世紀、オスマン・トルコとの戦いに敗れてすべての海外領土を失い、欧州貿易の拠点としての地位を手放して、いわば優雅な晩年を迎えた末期のことだった。辛うじて独立国の体裁を保ち、未だ他国の支配を受けないで済んでいるというだけの。

その時代のヴェネツィアの仮面祭りは、教会暦における四旬節前の一週間程度、つまり本来の謝肉祭の期間だけでなく、いくつかの中断期、たとえば降誕祭前などを挟みながらおよそ年の半分は続いていたという。……」
  1. 2016/09/22(木) 00:05:20|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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