イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの建物: ペーザロ館(2)

一方、R.ルッソ著『ヴェネツィアの館』(1998)は、カ・ペーザロについて次のような事を記しています。
ヴェネツィアの館「ヴェネツィア・バロックの傑作であるこの館は、今日近代美術館と東洋美術館が入館しており、東洋館の最初の中核はブルボン家のバルディ公エンリーコがアジア旅行中収集したコレクションで成り立っていた。

建築物は1558~1628年にペーザロが獲得した、隣接した中世の三つの館を統合した物で、1628年建築が始まった。設計はジョヴァンニとフランチェスコ・ペーザロがバルダッサッレ・ロンゲーナに依頼したが、彼は自分の設計案の完成を見ることはなかった。建築は1710年まで掛かり、完成時、建築家も発注者も数年前に亡くなっていた。

ペーザロ家はマルケ州の姓名と同名の町から13世紀頃、ヴェネツィアにやって来た。その地ではパルミエーリの姓で有名だった。ヴェネツィアではペーザロ・デル・カッロとして知られた。カッロ(carro)はブレンタ川からフジーナ近くのラグーナ(潟)までの彼ら所有の水運用船の意である。

一家の最も著名な人物の一人はヤーコポ・ペーザロで、1519年フラーリ教会に一家の大祭壇画を描いてくれるようにティツィアーノに依頼したことである。ヤーコポはキプロス島のパフォス(Paffo/Pafo a Cipro)の司教だったが、次いで教皇代理使節と教皇庁軍の将軍、更には対トルコとの戦に関わるヴェネツィア軍の総大将に任命された。

ジョヴァンニ・ペーザロもまた大運河の館の注文主であり、1643年のヴェネツィア軍の将軍だった(しかしこの時は、教皇庁軍に対抗するもの)。その時、個人の家からの略奪、絵画や芸術品の盗みを奨励したと言われている。彼を裁判に掛けるのが相当だとする声が高かった。

1658年、総督に選出された。コンクラーヴェの時その選出が決まり、ヴェネツィアでは一つの戯れ唄が町中で歌われた。《Viva el Pesaro dal caro/ Che xe sta in preson per laro/ E per ultima pazzia/ G'ha sposa' dona Maria.(ペーザロ・ダル・カーロさんよ、万歳だ/ あんたは盗っ人で獄門入りだった/ 最後の気違い沙汰は/ マリーアという女を嫁っ子にしたことだ)》

事実人々は、陰口を叩いていた。ルチーア・バルバリーゴの鰥夫(やもお)となり、一家の家政婦マリーア・サンタソフィーアとかいう女とお休みになっていた、とか。

しかしながらジョヴァンニの人生の浮沈は、彼の兄弟の荒々しく、流血を好む乱暴者のレオナルドに比べれば、左程驚くほどの事ではない。1601年2月28日、ミノット館での結婚披露宴で高級娼婦のルクレーツィア・バッリョーニの知られた恋人だったポーロ・リオーン閣下を殺害した。事件一ヶ月後、十人委員会はレオナルドの貴族身分と財産を没収し、永久追放に処した。15年間流罪にあり、1616年、100人の兵士を6ヶ月間召集し、武装させ、その維持費用を出すことを条件に帰国が許された。

一家の子孫の一人、フランチェスコ・ペーザロは、ナポレオンが使嗾したフランスとの協定を拒絶した人物として、歴史に名が残った。フランス側からヴェネツィアとの戦争を宣言し、結果共和国の滅亡に繋がった。

サン・スタエの分家の最後の一員であったピエートロはロンドンに移住し(一家のコレクションであった200点以上の絵画を売り払った)、1830年の彼の死後、カ・ペーザロは最初グラデニーゴの手に渡り、次いでヴェローナのベヴィラックァ公に、最終的には将軍ラ・マーザ公へ渡った。彼の妻は、ヴェネツィアの若き芸術家の展覧会を企画するために、ヴェネツィア市に財産を譲った。」
  1. 2016/10/13(木) 00:04:14|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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