イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの建物: コッチーナ・フォスカリーニ(Coccina Foscarini)館(2)

(続き)
「密告者の友人達は更なる名誉棄損の告発を企んでいた。国家機密の漏洩という中傷である。そしてアントーニオは彼に委ねられていた書類の流出という、その疑惑を証明をすることが出来ず、国家の裏切り者として死を宣告された。
Elsa e Wanda Eleodori『大運河』(1993)その機会に縺れた複雑な話として、イギリスの元帥、ウォードゥール伯トーマス・ディ・アランデルの妻、大夫人アンナ・シュルーズベリの名前が囁かれた。モチェニーゴ館のそのサロンには外交官やヴェネツィアの芸術家、外国人が通っていた。

死の宣告が発せられたその日、貴婦人はパードヴァのヴィッラに向かう途中だった。その時イギリス使節の伝令ウォットンが、事件のニュースと国境の向こうに避難するようにという助言を伝えに来た。夫人は逆に、馬を回してヴェネツィアに戻るように御者に命じた。ヴェネツィアで尋ね回り、総督から公判の模様を聞いたが、尋問官の言には言われるがままになるしかなかった。

そして彼の置かれた状態が明確になり、彼女はフォスカリーニは一人の友達であり、スパイではないと証言した。セレニッスィマはその証言を有効と認め、ロンドンのヴェネツィア大使に、政庁はアランデル夫人は事件と全く無関係であると認めると王宮に報告するよう命じた。

しかしながら残念な事に、資料は発見されず、フォスカリーニにはその判決は執行されることが分かった。貴族としての特権を使いたいと思い、公衆の面前でなく、牢獄で絞首刑になることを求めた。しかし習慣に従い、体はサン・マルコ小広場の聖マルコと聖テオドールス(or 聖 トーダロ)の円柱の間に建てられた絞首台に、足から吊るされた。

こうした事件があってそんな年月を経ないで、アントーニオがそんな失敗を冒す筈はないという人々の噂話があり、尋問官が事件を再度見直した。再度検証し、フォスカリーニの3人の部下の逮捕を命じ、彼らが主人に対する証言を捏造していたという確証を得た。その時失われていた資料が彼らの一人の家で見付かった。三人は処刑され、フォスカリーニの思い出だけが甦った。

大評議会は公に誤りだったと宣言した。当時としては特別な事例であり、フォスカリーニの二人の子孫に名誉回復の通達のオリジナルのコピーを渡した。そしてその通達が万遍なく行き渡るようにし、ヨーロッパの全ての宮廷に送付した。

フォスカリーニの遺体は名誉を込めて厳かにサンタ・マリーア・グロリオーザ・デイ・フラーリ教会に移葬された。そして事件を記憶に留めるべく、サン・スターエ教会の一家の葬送記念物の上の壁面に張り込められた。それは国家反逆により貴族位を剥奪されたという文言の記念碑である。その時以来、一家の声望と権威は揺るぐことはなかった。

マルコ(1762~1763)はヴェネツィアの最後から4番目(117代)総督である。彼も長い間ヨーロッパ各地の宮廷の大使であり、著名で優れた文学者であった。総督に選ばれ1年後に亡くなったが、これほど短期ではありながら、政治力を大いに発揮した。

フォスカリーニ家の一人は、著名な年代記作家のマリーン・サヌードの孫と結婚した。1525年彼女は耳飾りのモードを始めた最初の女性だった。その事が年代記作家には気に入らず、その事に関して一文を残している。結婚式のパーティに参加した女性達の間で、《フィリッポの娘……彼女はムーア人の装束をしている。耳に穴を開けさせて、細い金の輪を付け、帯に大きな真珠を着け……私は好きでない》。彼の嫌悪にも拘わらず、耳輪の使用は流行し、定着した。」 
  ――E.&W.エレオドーリ著『大運河』(1993)より 

アントーニオ・フォスカリーニについては、フォスカリーニで、その人生について触れました。
  1. 2017/01/12(木) 00:04:00|
  2. ヴェネツィアの建築・建物
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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