イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ピアニスト、ルイーザ・バッカラ(3)

(続き)
「ルイーザはフィウーメに発った。そして彼女を待つダンヌンツィオは、港の女歌手、リリ・ドゥ・モントゥレゾルと夜を過ごしていた――フェデーリチは更に書いている――彼女はかなり散文的な報酬で翌朝立ち去ったと、そしてそれがどのような報酬であったか我々は知りたいものである。

しかし我々はある事を知る、それはリリ(彼女の本名はリーナ)はペスカーラ出身で、暫く前からダンヌンツィオを知っており、友人の画家ミケッティのモデルをしたことがあるということである。

フィウーメでルイゼッラは、色々に忙しかった。先ずは音楽家としての、公開のコンサートでの演奏活動に勤しみ、更に多分自分の男への熱心な協力者として、賢明で十全な秘書活動をした。

しかし彼女の新しい生活は始まったばかりで、19歳にして、1938年3月1日の詩人の死まで彼の傍にあって注意深く、忍耐強かった。正しく彼は、数年後には彼女を丸で妻の如く扱った、封書の宛名に“ダンヌンツィオの女ルイーザ(donna Luisa d'Annunzio)”と。しかし彼女に与えた屈辱は大変なものがあった。彼の人生で唯一の失敗があり、滔々たる冒険的活動の結論として、1921年ルイゼッラとガブリエーレが隠棲した、ガルドーネ近郊のカルニャッコの豪勢なヴィッラ、ヴィットリアーレで、その20年足らずの間に100人近くの女性達がそこで過ごしたと思われるからである。事態は正しくこのようであった。

100人近くの女性達の中には、正式の妻のマリーア・アルドゥアン・ディ・ガッレーセ(Maria Hardouin di Gallese)、女流のポーランド人画家タマラ・ドゥ・ウェンピツカ(Tamara de Lempicka)、ヴェントゥリーナ(Venturina)やイーダ・ルビンステイン(Ida Rubinstein)のようなかつての恋人達である。

ルイゼッラの態度をはっきりと示す、日付のない手紙がある。《私のアリエール様、あなたのオフイスは整頓されていて、純白無垢の花があなたにお帰りなさいを言うためにあなたを待っています。朝食のために万全の準備をしておきました。ミサに行って、直ぐ帰ります。私の両腕は昨日の疲れの後も痛みはありません。その事に満足しています。あなたを抱擁します。ルイゼッラ》

アリエール=ガブリエーレなるイタリア男の集中するもの、一体何が好みであったのか。しかし彼女は彼に信じ込ませたのでもなければ、感謝の念を示したのでもない。全てはそれ相応の事であった。そして彼女は次のような事を書くことになる。《おちびさん、あなたの事を一杯考えてます、心配なんです。多分私の存在だけがあなたを落ち込ませているんです。決めるって事だけがあなたに残されたことです。貴方の重荷になるよりは、私が立ち去る方がいいのです。あなたの過ぎ去って行く日々がなくなる時、多分それはあなたには長いことではないと思われます。薔薇の花を摘んで来ました、あなたのためにです。私を許して下さい。それってあなたにとって多分過分な事と思われますが。》

彼女へのアリエールの返事がどんなものであったか、我々には分からない。しかしまた別の手紙の始めで想像することは出来る。《私のアリエール、こんなにも辛く、苦しい電報はもう待つことは出来ません。なぜこんな電報を寄越すのですか。ガルドーネの事務所に私が帰る事を望んでいらっしゃらないことは分かっていますのに。脅すような奴隷の尺度と考えられますのに。》
ルイーザ・バッカラルイーザ・バッカラ[右、サイトから借用]  ルイゼッラは彼女のアリエールより47年も長生きした。しかし彼の死と共にヴィットリアーレを遺された。とは言え、詩人の生存中に生きたと同じように生き、その時から奴隷の如く、そして隠遁生活を送った。何も求めず、何も得ることもなく、追憶と忘れられた存在として人生を過ごした。」

ガルドーネ近郊のヴィッラ・ヴィットリアーレについては、2013.10.26日のカジーナ・デッレ・ローゼ館で触れています・
  1. 2017/02/16(木) 00:07:33|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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