イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの街案内(21)

(続き)
「この広場ではサン・ポーロ広場やサント・ステーファノ広場でのように、古くは闘牛の祭が行われていた(実際、とりわけ牛伝説があったのである)。周りには素晴らしい館が建っているが、それはプリウーリ館であり、ドナ館であり、ヴィットゥーリ館であり、かのマリピエーロ・トレヴィザーン館である。1800~1900年代に公妃ハッツフェルトの所有で、国際色豊かな、人気の文学サロンを主宰した。

この住居の傍に、ルーガ・ジュッファ(Ruga Giuffa)橋があり、記憶によれば、Julfa(or Culfa(アルメニア―アゼルバイジャン)から来たアルメニア商人の事であるが、古い資料ではGagiuffaという名前は、gajufusから、そしてダルマティアのgejupkaから来ており、ジプシーを意味している。ここからgaglioffo(悪党)という言葉は来ているだろう。これらgajuffosというのは、あたかも助けを必要としている善男善女、の振りをしている連中である。病院や修道院、同信会館等を回って、寄付を乞うのである。
カナレット『サンタ・マリーア・フォルモーザ広場』パルマ・イル・ヴェッキオ画『聖バルバラ』(部分)[左、カナレット画『サンタ・マリーア・フォルモーザ広場』、奥にフォルモーザ教会が見える。右、パルマ・イル・ヴェッキオ画『聖バルバラ』(部分)]  この教会の内部は7世紀に作られたが、M.コドゥッチによって再建(1492年)され、聖バルバラに捧げられたヤーコポ・パルマ・イル・ヴェッキオの多翼祭壇画のあるボンバルディエーリ(砲手)同信会館の教会である。

教会背後はクェリーニ小広場に、クェリーニ・スタンパーリア財団があって、蔵書豊富な図書館、絵画の注目すべきコレクションがある。ここの収集品について触れるのは止めて、唯一ヴェネツィアの生活を描いた、ガブリエーレ・ベッラの興味深い69点の作品(1700年代半ば)があることに触れておこう。

サンタ・マリーア・フォルモーザ広場に戻り、カッフェで一服し、周りの景観にうっとり等したくないなら、鐘楼を後にして、プレーティ運河通りへ出て、直ぐ最初の橋を横切り、次の橋の上に建つゴシック式の素晴らしいアーチを眺めよう。そしてパラディーゾ通りへ入る。これは扶壁を備えた建物の二つの翼に挟まれた中世の面影を残す通りであり、通り終りにもゴシックのアーチがある。
[一階軒下の梁を支える桁が露出した様子が興味深い通りです。日本の組物の一手先(ひとてさき)のような雰囲気です。これが中世の面影でしょうか。]

この通りにヴェネツィアとその伝統文化について専門に書かれた本の編集出版のフィリッピ書店がある(フィリッピ氏はウーゴ・プラットをよく知っていた)。この魅力的な通りを後にして、サン・リーオ大通りを右へ行こう。その右手には、13世紀の小館がペアーで建っている。サン・リーオ広場にはビヤホール“オランデーゼ・ヴォランテ”がある。
パラディーゾ通り Poeta LibertinoPietro Buratti『Elefanteide』ジュゼッペ・タッスィーニ『ヴェネツィア興味津々』[左、サイトから借用。右3点、フィリッピ書店出版の本、ここでジュゼッペ・ボエーリオの『ヴェネツィア語辞典』等買いました]  広場は右にそのまま置いて真っ直ぐ行き、サンタントーニオ橋を越え、ビッサ通りをサン・バルトロメーオ広場に出るまで進む。今や足を休め元気回復する時である。選択肢は様々で刺激的だ。即ちゴルドーニの銅像を背にして右の通りを選べば、テントール小広場に出、バーカロ“アイ・ルーステギ”がある。
[バーカロについては、2011.12.24日のバーカロ(1~3)で触れました。]

これには選択が色々、右へ行けば、エキゾティックな料理が好みの向きには中華飯店“アル・テンピオ・デル・パラディーゾ”、そしてヴェネツィアの新しい世代の夜のランデヴー用に典型的なバーカロ“アッラ・ボッテ”がある。

もしこうしたカオスがお好みでない方は、近くのビッサ通りの歴史的総菜屋、永遠の鰯入りのモッツァレッラ・イン・カッロッツァ[モッツァレッラ・チーズのはさみ揚げパン]のある歴史的総菜屋(月曜休み)に逃げ出そう。

この近辺で、狭いボンバゼーリ通りの一角の背後に、町でも歴史的なレストランがある。ウーゴ・プラットのお気に入りのレストランであった“アル・グラスポ・デ・ウーア”である。現在では経営が変わって終ったが、かつてはグイード・モーラの伝説的レストランであり、氏は特別の機会には店を閉め、友人達のために夜の7時前には決して終わる事のなかった素晴らしい午餐を用意した。芳香馥郁たる料理からはあらゆる種類の美味なるものが立ち上り、高揚感とシャンペンに満たされて最高気分になり、陶然として軽やかに幸せな心地で“グラスポ”から外へ出ると、それはもう“ウーゴ・プラット王”の時代であった。

この店で“パヴィーア”とかいう人がカメリエーレとして働いていた。彼はマエーストロに昇るまで、コルト・マルテーゼに彼の一面を描いてくれるよう、紙とマーカーを差し出した。プラットは細緻な絵を描いたが、それは女性の美しいお尻であった。事は何年も続き、ある年、コルトの自画像を描いてもらえないという、パヴィーアの不平不満にマエーストロは、彼に次のような事を思い出させて納得させようとした。彼が彼の英雄の像を手にしていないのは本当だが、その代わり今や世界でも第一のプラットのお尻のコレクターであり、いつの日かこの特異のコレクションで思い出されるに違いないことは確実である、と。 ……」 (終り)
  1. 2017/05/04(木) 00:05:23|
  2. ヴェネツィアの街
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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