イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

クシシトフ・ポミアン著: ヴェネツィアの『コレクション』(4)

(続き)
「以上の伝統的な博物館は、したがって、われわれが革命的と呼ぶもうひとつのタイプ(第二のタイプ)に属する博物館とは、いくつかの点で異なっている。革命的タイプとは、政令によって作られ、国家がもとの所有者たちから没収したさまざまな起源の作品を集めたもので、それらの作品とは何の関係も持たない建物、一般には宗教施設を転用し改装して博物館としたものである。このタイプは、ヴェネツィアではアカデミア美術館によって代表される。
コレクションこれは10年間の準備とジャンアントニオ・セルヴァの指揮による古いいくつかの教会と愛徳学校とラテラノ参事会修道院の改築のあと、1817年8月10日、盛大に開館式が執り行われた。展示された絵画は大部分がさまざまな教会や修道院に由来するものであった。もちろん最初に、絵画や古代彫刻の石膏模型からなる美術アカデミーのコレクションが核になっていたことは確かである。それらはフィリッポ・ファルセッティ神父の所有で、1805年にオーストリア政府によって買い取られてしまっていた。
[愛徳学校と訳されている施設――カトリックの対神徳(virtù teologali)にfede(信徳)、speranza(望徳)、carità(愛徳)があります。Scuola di Caritàはヴェネツィアで言われている《同信会館Scuola》のことでしょう。アッカデーミア美術館は同じ場所にあったカリタ教会、カリタ修道院、カリタ同信会館を纏めて、美術アカデミーと美術館に変更されました。カリタは固有名としてカリタ同信会館と訳すと分かり易いでしょう。]

一方、1816年のジロラモ・モリンの遺贈以来、アカデミア美術館はいくつかのコレクションの寄贈を受け――とりわけ1838年のジロラモ・コンタリーニによる188枚の絵画の寄贈がある――、またいくつかの作品の購入によって内容を豊富にしたが、それはまた、のちに問題にする他の二つの公共博物館形成タイプに関係することである。

しかしながら、やはりアカデミア美術館の設立の起源にあるのは、中央集権的で、近代化を促進する国家権力である。絵画館を持った新しい美術アカデミーを設立するという1807年2月12日の政令は、1803年にボローニャとミラノのアカデミーに出した法令をただヴェネツィアに適用するものであった。

この領域において、オーストリアはイタリア王国によって始められたと思われる政策を遂行したのである。政府は、地方都市を犠牲にして王国の首都を特権化するというその本来の目的のために、芸術作品を配置していたのであった。したがってヴェネツィアの絵画はミラノのブレラ美術館に送られていた。ブレラ美術館には全ての地方《流派》のもっともすぐれた代表者の最高の作品を集めようとしたと思われる。

それに対して各地方の《流派》は、それぞれの出身地の博物館でもっと詳細に展示される必要があった。これはアカデミア美術館のコレクションがもともと非常に均質なものである理由を説明してくれる。交換によって他の作品を獲得しようという試みにもかかわらず、そこに収められているのはヴェネツィア派の作品だけであった。
……
ヴェネツィアばかりでなく一般にヨーロッパとアメリカにおいても、以上に述べた二つのタイプ、つまり伝統的タイプと革命的タイプは、少数の博物館によって体現されているにすぎないと思われる。なぜならヴェネツィアで頻繁に(他のいたるところでというわけではないにしろ)見られる博物館は、町に恩恵を与える人物を表す古語(évergéte)から形容詞を作って《恩恵者的(évergétique)と呼ぶことができる第三のタイプに属しているからである。

それは実際、個人コレクションの創設者が、死後、コレクションを公衆の役に立てるために、故郷の町や国家や教育・宗教施設に寄贈するものである。近代ヨーロッパではないにしても、ヴェネツィアにおいて最古のこのタイプの博物館は、考古学博物館である。これはジョヴァンニ・グリマーニとドメニコ・グリマーニのそれぞれ1523年と1587年の寄贈に由来するもので、16-18世紀を通じて何人かのヴェネツィアの蒐集家の遺贈によって補充された。

サン・マルコ大聖堂の宝物庫や十人委員会武器庫に比べて、これは新しいタイプの公共博物館であり、16世紀にはサン・マルコ大聖堂の図書館の控室に作られたが、この図書館もまたある恩恵者(エヴェルジェット)によるものであった。

この博物館はその起源において新しいものであったばかりでなく、とりわけその内容において新しいものであった。つまり、珍品(キュリオジテ)や聖遺物やその材質のために貴重な品物ではなく、古代人の芸術作品がそれ自体として集められたものであったのだ。
……
公共博物館の第四の形成タイプは、他に適当な言い方がないので、商業的(コメルシアル)とでも呼んでおきたい。それは、ひとつの組織(アンスティチュシオン)によって作られた博物館のことで、その組織が博物館を構成する作品もしくはコレクション全体を購入する場合である。

こうしたことが最初に起こったのは、ヴェネツィアでは近代美術館であり、国際芸術ビエンナーレの期間中に展示された作品を購入することによって作られたものである。二番目は東洋博物館であり、これは19世紀末にバルディ伯爵アンリ・ド・ブルボン=パルムによって作られたコレクションに由来する。このコレクションはバルディ伯爵の死後、あるウィーンの古美術商に売られ、第一次大戦後、オーストリアからの賠償の一部としてイタリアに返還されたものである。

この商業的タイプの博物館でもっともよく知られているのは、いうまでもなく大英博物館であり、1753年に英国議会の決議により、ハンス・スローン卿の遺言執行人から2万リーヴルで購入されたコレクションに基づいている。周知の事実なのであえて強調する必要はないが、博物館はその起源がどのようなものであれ、寄贈だけでなく購入によってもそのコレクションを補充している。

作品の購入には間接的な場合もあり、たとえば博物館が考古学の発掘作業を組織したり資金を出したりして、発掘された品物を自身のコレクションに加える場合がそれにあたる。
……
個人コレクションはヴェネト地方においては他の場所よりも早く出現した。最古の二つのコレクションは14世紀後半にさかのぼる。15世紀初めには少なくとも6人のヴェネツィアの蒐集家がおり、そのうちの2人はクレタ島に住んでいた。この時代において、ヨーロッパで蒐集家の数がこれよりも多かった町は、11人が知られているフィレンツェのみであった。

1世紀後、ヴェネツィアにはすでに数十人の蒐集家がいた。そして16世紀後半には、フランドルの古銭学者で版画家のユベール・ゴルツィウスが、ヴェネツィアの古銭蒐集家25人の名前を挙げた一覧を作っている。ゴルツィウスの番付によれば、それは、イタリアではローマ(71人)、ナポリ(47人)についで3番目であり、以下ジェノヴァ(17人)、ミラノ(16人)、フィレンツェ、ボローニャ、パドヴァ(11人)と続く。

17世紀末にマルティノーニは31人の蒐集家に言及している。しかしゴルツィウスの場合と同様、それはおそらく、もっと人数の多い集団の、目に見える一部分にすぎないようだ。もっともその正確な数値を出すのは不可能であるが、ヴェネツィアの古文書が埋蔵している何千もの目録に関する研究を積み重ねることによって、いつの日かそれは可能になるだろう。 ……」
  ――クシシトフ・ポミアン著『コレクション――趣味と好奇心の歴史人類学』(吉田城・吉田典子訳、平凡社、1992年5月13日)より

[追記: 前回マンフレディニアーナ絵画館(Pinacoteca Manfrediniana)について触れました。例えばLibreria marcianaをマルチャーナ図書館とか言いますが、Museo del '700 venezianoをヴェネツィア18世紀博物館と言うように、聖マルコ図書館と形容詞形でなく言うのが訳なのでしょう。その伝で言えば、Federico Manfredini侯爵(1743~1829)の収集作品を基に出来た絵画館ですから、マンフレディーニ絵画館というのが訳と思われます。]
  1. 2017/07/13(木) 00:04:00|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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