イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ラウラ・レプリ著: 『書物の夢、印刷の旅』(2)

(続き)
「数か月前からヴェネツィアでは、トッレザーニ印刷所の件でさまざまな噂が飛び交っていた。老アンドレアが没すると、突然、印刷所の動きがすっかり停止してしまったのである。ともかく出版活動の一切が中断していた。カルパントラの司教ヤコポ・サドレートは、かなりの出費をして、学識あふれる彼の『詩篇第九十三註解』をフランスからジョヴァン・フランチェスコ・トッレザーニに送り、印刷の仕上がるのを待っていた。

しかし応答がない。彼は何度もベンボ――もちろん即座に援助を約束して、後の始末は秘書のコーラ・ブルーノに任せた――や、グッビオの司教フェデリーゴ・フレゴーゾ――ベンボやカスティリオーネらの友人であり、『宮廷人』出版の際には惜しみなく援助をしている――に手紙を書いた。

けれども無駄であった。月日は流れ何も起こらない。この袋小路が、教会の検閲によるのかヨーロッパ随一の印刷所の怠慢のせいなのか、それもはっきりしなかった。そういうわけで、サドレート司教は、長いあいだ静かに待ちつづけた後、この『註解』をリヨンの印刷所へと回したのである。

明らかにサン・パテルニアンの印刷所には何か重大な異変がおきていた。仮借ない剣の刃が沈黙のうちに砥がれていたのだ。続く月日に麻痺状態の本当の原因が明らかになる。遺産相続の問題であった。

[サン・パテルニアーンについて――前回の(1)で触れましたように、アルド・マヌーツィオは最初サン・ポーロ区のリーオ・テラ・セコンド(セコンド埋立通り)に印刷所を開いたそうです。建物正面に羅典語の碑が掲げてあります。後トッレザーニの娘マリーアと結婚し、旧サン・パテルニアーン教会裏に越したようです。そこにギリシア語で語り合うクラブ、アルディーナ・アッカデーミアを開きます。マニーン広場の“ヴェネツィア信用金庫”とでもいった銀行の壁面に彼の碑があります。銀行建物はヴェネツィアに似つかわしくない現代建築で評判が良くないようです。アルドが葬られたサン・パテルニアーン教会は1810年倉庫になり、1848年を記念してダニエーレ・マニーンの銅像を建てるため広場として広げられた1869年壊され、現マニーン広場となりました。マニーン広場からサン・ルーカ広場への道はリーオ・テラ・サン・パテルニアーンと旧教会名が残され、その通りにその碑を見ることが出来ます。マニーンの銅像は長年住んだ運河向こうの我が家を見下ろしていますが、マニーンの生家は、上記アルドのセコンド埋立通りのサンタゴスティーン広場に近いアストーリ通りどん詰まりにあります。最近登る事が可能となったボーヴォロ階段はマニーン広場の傍です。2011.12.10日のブログでもマニーン(2)について触れています。]

すべては1515年の1月、他界する一月前にアルド・マヌーツィオが書いた遺言中の一言――この事件を担当する判事は完全に有効な言葉と認めるだろう――にかかっていた。すなわち、アンドレア・トッレザーニとアルドとのあいだで未分割の財産について、《五分の一がわたしに属する》という言葉である。彼、つまり彼の遺族、彼の子どもたちは、トッレザーニの全財産の五分の一を所有するわけだ。

アルドの妻マリア、つまりアンドレア・トッレザーニの娘が後見人となり、子どもたちが小さいあいだは、不動産、出版活動、高い評価を受けている商標、つまり全財産を老アンドレが管理していた。だが彼が亡くなると、まさに文字通り決算の時が来る。トッレザーニとマヌーツィオの第二世代が衝突する時が来たのである。まもなく誰もが心の内をさらけ出して不満を爆発させ、和解は困難になった。
……
パオロ・マヌーツィオ青年は、父親――三歳の時に死亡した父親の記憶は何もなかったが――の遺言を執行すると従兄たちに告げ、相続人の名において、ジョヴァン・フランチェスコ・トッレザーニのやり方がアルドの商標を曇らせていると憚りもなく言った。ともかく、財産はまだ分割されておらず、ジョヴァン・フランチェスコとその放埒な兄フェデリーコには、父親アルドの財産の五分の四が与えられるはずだ。

不公平なことだった。トッレザーニ家はすでにマヌーツィオ家よりかなり裕福だったが、出版業におけるアルドの才能と技術がなければ、トッレザーニはこれほど豊かにならなかったであろうし、このように高い評価を得ることもなかったであろう。 ……」 (3に続く)
  1. 2017/08/03(木) 00:06:04|
  2. ヴェネツィアに関する書籍
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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