イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの島: ラッザレット・ヴェッキオ

リード島に一番近く、ラッザレット・ヴェッキオ島があります。この島には元々、ナザレートの聖マリーアが祀られていたそうですが、後名前が変化して、14世紀にはペスト患者を引き受ける場所となったようです。19世紀には軍の収容施設となったようですが、現在放置されたままのようです。今日のLa Nuova紙によれば、ラッザレット・ヴェッキオ島を再開発することを模索しているようです。
ラッザレット[写真はヌオーヴァ紙から借用」 「 ヴェネツィアのラッザレット・ヴェッキオ島、見捨てられていた島を見直す 
――ヴェネツィア映画祭で提示された映画は、過去を再照射する。しかしプロジェクトは歴史や考古学遺物について解説する“センター”の意中にある――

蔓延るアカシアやイラクサの絨毯は、今でもアラビア文字までは覆い尽くしていなかった。中東との交易の証明である。その建物の縁側で、貴族のアルナルド・フジィナートは『ヴェネツィアの最後の時』という有名な詩を書いたし、聖母子のフレスコ画も崩れずに残っている。

ラッザレット・ヴェッキオとは世界初の伝染病隔離病院で、今でも人命擁護の施設であるが、経済的バックアップがないのである[辞書によれば、聖書の救癩聖者のLazzaroのLが、ヴェネツィアのSanta Maria di Nazaret(教会付属の病院)のNazaretのNとすり替わって出来た言葉だそうです]。

島は広く、2ヘクタールあり、建物は8000㎡ある。リード島からわずか70mであり、ラグビー広場に面しており、ホテル・エクチェルスィオールの水側玄関に通じる運河の前にある。今日この島はヴェネツィアのアルケオクルッブ(水クラブ)の好意と力添えに寄る。このクラブは国有のこの島の保全を任されているのである。

ヴェーネトの考古埋蔵文化財局やポーロ・ムゼアーレ局のプロジェクトは、ここやラッザレット・ヌオーヴォにヴェネツィアとその潟の歴史や考古文化財を研究展示するセンターを立ち上げるということであった。

新ヴェネツィア評議会は90年代にいくつかのきっかけを作った。その場所で2010年には着手される筈であったが、最終的に資金調達が不可能で、全てが無となった。……」
  1. 2017/08/06(日) 22:20:56|
  2. 未分類
  3. | コメント:0
<<ラウラ・レプリ著: 『書物の夢、印刷の旅』(3) | ホーム | ラウラ・レプリ著: 『書物の夢、印刷の旅』(2)>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

カウンタ

カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

最近の記事+コメント

カテゴリー

ブログ内検索

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

このブログをリンクに追加する

過去ログ

フリーエリア