イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの建物: フォスカリーニ館、フォスカリーニ=コンタリーニ館等

マリーン運河を越えて、右に進むとフォスカリーニ館(casa Riolfo)があります。E.&W. エレオドーリ著『大運河』(1993)は次のように述べています。
casa Riolfo「フォースカリ家の古いゴシック様式の建物が1951~54年マリーノ・メーオの手により再建されたが、3階開口部や三葉飾り風の窓の配置は残された。」

更に右に進むとフォースカリ=コンタリーニ館となります。
「16世紀前半のルネサンス様式の建物。ファサードは、2階全体が柱にアーチが乗る形の二重構造の開廊で、3階は楣式(まぐさしき)である。両角は扶壁柱で補強されている。1375年総督フランチェスコ・フォースカリがここで誕生したと言われている。古い館があった場所に建っている。現在はシエーナのモンテ・ディ・パスキ銀行が入館している。」
[フランチェスコ・フォースカリについては、2010.09.11日のブログ、大運河の屈曲部に聳えるカ・フォースカリをご参照下さい。]
casa Adolfo更に右へ進むとアドルド館(Casa Adoldo)となります。
「ファサードの中央には二連窓があり、その脇に各々一面窓と一家の紋章を置いている。16世紀前半のルネサンス様式の建物である。今日、INAIL(労災保険の国家機関)の在所である。

貴族のアドルド家はギリシアから大変古く到来したので、900年の終り頃、サン・スィメオーン・ピッコロ教会の創立で、他の貴族達と争った。一家はアンドロス島(Andro)と1432年に死んだ一家の最後の子孫ニコロがミキエールに売ってしまったセルチーノ島の半分を所持していた。館について書かれた文言で、ルチーア・アドルドが教会に建物を贈呈したことが知られる。」

更に右へ進むと、サン・スィメオーン・ピッコロ教会です。
「中央対称性の穹窿の大きな教会で、1718~38年ジョヴァンニ・スカルファロットの案で建てられた。緑の銅板の高い穹窿と広い大階段からコリント式のプロナスの前廊に特徴がある。アドルド家とブリオーソ家によって9世紀に建てられた古い教会と変えられた。」
ホテル・カールトンエーモ・ディエード更に右へ進むとエーモ・ディエード館(Ca' Emo Diedo)となります。
「17世紀末に建てられた優雅な建物で、アンドレーア・ティラーリに帰属する。浮き出し飾りのある切り石積みの礎石の上に、建ち上がった中央の要素と2階の大きな三連窓がファサードの滑らかな表面を際立たせている。それは三角形のペディメントを支える柱と扶壁柱で枠取りされている。現在は信徒会(サンティ・カピターニオ・エ・ジェローザの愛徳修道女会)の建物である。

言い伝えによれば、この館で最後の大艦隊司令長官となったアンジェロ・エーモ(1731~92)が生まれた。彼は僅か20歳で、北アフリカのバルベリーアの海賊との戦いで、セレニッスィシマで頭角を現したのだった。貴族エーモ家は997年ヴェネツィアに到来し、共和国に著名な人物を送り込んだのだった。」
  ――E.& W. Eleodori著『大運河(Il Canal Grande)』(Corbo e Fiore Editori、1993)
パパドーポリ公園2009.06.13日の海の税関岬から始まって大運河右岸を上り、リアルト橋を渡り、左岸をサン・マルコ広場まで下りました。その後サンタ・ルチーア鉄道駅から大運河左岸を下降し、リアルトを渡橋し、右岸をサン・スィメオーン・ピッコロ教会、更にはエーモ・ディエード館まで遡上しました。写真の樹木はパパドーポリ公園のものです。サンタ・クローチェ区命名の基になった同名教会が倒された後、この公園になりました。
これまで大運河に面した、主だった建物の説明をしてきましたが、ここで終了です。
ヴィゼンティーニの『浮絵 紅毛(ヲランダ)フランカイノ湊鐘響図』[左、アントーニオ・ヴィゼンティーニ画、右、それを歌川豊春が摸写した版の新刷」  歌川豊春が遠近法を描く浮絵の勉強のために摸写した『浮絵 紅毛(オランダ)フランカイノ湊万里鐘響図』の基となった、カナレットの絵をヴィゼンティーニがモノクロ版画にした『サンタ・クローチェ教会からスカルツィ教会に向かう都市景観画』の描かれた場所がここなのです。ヴィゼンティーニの版画については、2009.10.24日のヴェネツィアと日本で触れました。
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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