FC2ブログ

イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ローナ・ゴッフェン: 『ヴェネツィアのパトロネージ』(1)

ローナ・ゴッフェン著『ヴェネツィアのパトロネージ――ベッリーニ、ティツィアーノの絵画とフランッチェスコ修道会』(石井元章監訳、木村太郎訳、三元社、2009年3月31日)という本を読んでみました。
パトロネージ「ヴェネツィアのサンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂はまるで小宇宙のようである。この聖堂は壁の内側に、まさしく文字どおり、ヴェネツィア・ルネサンス美術の歴史を含んでいる。それと同時に、フラーリ聖堂の歴史は、13世紀の創設から1517年の分裂に至るまでのフランチェスコ修道会の歴史を縮約している。

この聖堂の祭壇や装飾に表されている神学上の問題と特別な宗教性は、フランチェスコ会特有の関心やこの修道会の性格を示すものであり、また一方では、ルネサンス期ヴェネツィアにおいて教会と国家のあいだに存在した独特な関係を暗示するものでもある。そして、今述べたことすべては、15世紀のヴェネツィア最大の画家ジョヴァンニ・ベッリーニと16世紀絵画の偉大な天才ティツィアーノ・ヴェチェッリオがフラーリ聖堂のために描いた祭壇画に具現されている。
[Frari(フラーリ、単数frar、ヴェ語)=伊語frate(僧)、fratello(兄弟)の意。ここではフランチェスコ会士のこと。]

そのうちの三点は、それらが当初から置かれることになっていた場所に今日も光彩を添えている。すなわち、ベッリーニの手になる聖具室の聖母の三連祭壇画と、ティツィアーノによる主祭壇の《聖母被昇天》、および左側廊の《聖母》である。現在ヴェネツィアのアカデミア美術館に収蔵されるティツィアーノの《ピエタ》もまた、もともとは同じ聖堂のために制作されたものであった。」
……
「その約一年後の1250年4月3日、助祭枢機卿にして教皇庁の遣外使節であったオッタヴィアーノによって新しい聖堂の礎石が置かれた。オッタヴィアーノは、この聖堂の建設を援助した者には140日の贖宥を与える、と宣言した。聖母被昇天を祝うために献じられたこの聖堂は、オッタヴィアーノが説明するように、聖母を奉献対象とするヴェネツィアの他の教会と区別するため、『サンタ・マリア・グロリオーザ(『被昇天の聖母』を意味する[ただし、本来は『栄光の聖母』の意])』と名づけられた。このフラーリ聖堂の奉献はまた、聖母マリアに対する聖フランチェスコとその弟子たちの深い信仰をはっきりと示すものであった。」
……
「教皇によるパトロネージは概してフランチェスコ会を強力に後押ししたが、それは聖母に献じられたこのヴェネツィアの聖堂においても変わりはなかった。1249年3月25日のインノケンティウス4世による大勅書の発布から3年後には、フラーリ聖堂ならびに修道院の建設費用を負担した者に40日の贖宥を与えることが新たに承認されている。

また、インノケンティウス4世の後継者アレクサンデル4世は、1255年、1256年、1261年に公布された大勅書の中でいくつかの贖宥を認めるとともに、フランチェスコ、アントニウス、キアーラの三聖人の祝日におけるフラーリ聖堂への参詣に対して褒賞を授けることで、この新たなフランチェスコ会の聖堂をよりいっそう支援した。そして、これらの後も、贖宥の認可はさらに数多く続いた。」
……
「フランチェスコ会士たちは15世紀後半、すなわち1517年のフランチェスコ会の分裂に先立つ約50年間に、もっとも大きな成功のいくつかを収めた。フラーリ聖堂の装飾の多くはこの時期に完成しているが、それらが少なくとも全般的には、公の賛意と奨励によって助成されていたことは疑いを容れない。

例えば、1475年にヴェネツィアの元老院は、聖フランチェスコの祝日が公的な祭典をもって祝われるべきものであると定めている。しかしながら、フラーリ聖堂をまさしく文字どおり、今日見ることのできる輝かしい記念碑へと仕立て上げたのは、教皇庁でもなければヴェネツィア共和国でも、またいかなる政府機関でもなく、むしろこの聖堂の民間のパトロンたちであった。これらのパトロンの中には、外国およびヴェネツィアの様々な同信会、ならびにサンソヴィーノの述べるような『貴族、平民を問わ』ない多数の寄進者たちが含まれる。

フラーリ聖堂の建設と装飾という大事業はほぼ完全に、そうした民間の寄進者たちによる貢献のおかげでなし遂げられたのであり、そこにヴェネツィア共和国からの支援はほとんどなかった。……」 (2に続く)
  1. 2017/10/25(水) 00:14:37|
  2. ヴェネツィアに関する書籍
  3. | コメント:0
<<ヴェネツィアの人口(4) | ホーム | ヴェネツィアの街案内(22): サン・マルコ広場>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

カウンタ

カレンダー

09 | 2018/10 | 11
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -

プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

最近の記事+コメント

カテゴリー

ブログ内検索

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

このブログをリンクに追加する

過去ログ

フリーエリア