イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの聖マルコ伝説(2)

(続き)
「ヴェネツィア人は信仰心は大変厚かったが、宗教的な事で細部に拘ることはなかった。即ち聖遺物が必要なだけだった。何処かから盗んでくれば何とかなる。ヴェネツィア人にとって、他所の教会からの奪略など、些細な事でしかない。そんな事には拘泥しないし、今や皆、口にしていることだ。

それは828年のことであった。2人のヴェネツィア商人、一人はブオーノ・トリブーノ・ダ・マラモッコ、もう一人は造船所や家屋、船等を数多く所有していたルースティコ・ダ・トルチェッロの2人が、エジプトのアレクサンドリア(Alessamdria)で10艘の船に商品を満載したことがあった。

アレクサンドリアに到着すると、この2人の商人は危険を冒したのである。というのは、当時のヴェネツィアの税関の規定では、サラセン人との交易は禁じられており、事が露見すると只では済まないし、当然出費は多額に及ぶからである。

その当時イスラム教徒はモスクを飾り立てるために、キリスト教会から略奪しようとする気配があり、それは2人にとっても好ましくなく、取引が終わるや、ヴェネツィア総督に取り入り、友達関係になる方策について考えよう。

聖マルコの遺体は、760年前からここアレクサンドリアにあった。2人の聖マルコの監視員スタウラーツィオ・モーナコとテオドーロ・プレーテ(伊語式呼称)が、聖マルコの聖域を汚されることを恐れているのを知り、2人は大胆な計画を立てた。

それは聖マルコの遺体を盗み、ヴェネツィアに持ち帰るというものであった。ヴェネツィアでは他のどの土地よりも聖マルコに対する権利を主張出来るようになるだろう。

2人の監視人を丸め込むのは造作なかった。ある夜2人は寺院に入り、墓を暴いた。福音史家は顔を隠すように封印されたマントで全身が包まれていた。2人は全てを予測していた。

マントの背中から切り、聖人の遺体を引き出し、代わりにベアータ・クラウディアの体を包みの中に突っ込んだ。そして密かに全ての戸締りを終え、逃げ帰った。気付いた者は皆無だったろう。

難関が最後に控えていた。即ち港での遺骸の輸送である。準備万端の税関吏チェックが待ち受けていたが、実に抜け目ない2人には直ぐに策略が頭に閃いた。

聖マルコの遺体は籠の一番底の穴に収められ、その上に四つ切りした豚の肉切れがいくつも置かれた。豚の肉をイスラム教徒は非常に不潔な物と考えていたので、一瞥することさえしようとしないのである。」 (続く)
  1. 2008/11/09(日) 00:02:56|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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