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イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィア室内合奏団(インテルプレティ・ヴェネツィアーニ)(6)

10月3日、紀尾井ホールでのヴェネツィア室内合奏団(インテルプレティ・ヴェネツィアーニ)の演奏を聴きに行ってきました。今年2月にヴェネツィアに行った時は、娘達のカーニヴァル案内やフェニーチェ劇場でのオペラ『ラ・ボエーム』観劇等で、彼らの演奏を聴く時間がうまく取れませんでした。
紀尾井ホール紀尾井ホール2今年は団長のパーオロ・コニョラートさん(チェンバロ奏者)がこのインテルプレティ・ヴェネツィアーニを組織されてから満30年になるそうです。私が初めてこの合奏団を聞いたのは1994年でサント・ステーファノ教会ででした。我々の前に座っていた仏人が“Magnifique !”と叫んでいました。2年後1996年はサン・サムエーレ教会で聞きました。2000年(?)11月リアルトのサン・バルトロメーオ教会でのコンサート時、演奏前、教会脇でこっそり煙草を吸っていたダーヴィデ・アマディーオさん(チェロ奏者)を見掛け、大胆に話し掛けました。

実はイタリア文化会館でニコーラス・デッサルド先生がイタリア音楽についての講座を開設しておられ、私も聴講していました。その年先生に誘われました。9~10月、ヴェネツィアでインテルプレティ・ヴェネツィアーニが『四季』を演奏する時、演奏に合わせて《四季の詩》を朗読するんだけれど、君もヴェネツィアに一緒しませんか、と。私は11月からザンブラー語学校でのイタリア語の勉強を決定していて、二の足を踏んでしまいました。そんな話をダーヴィデさんにしました。

その頃はレオーニ小広場のサン・バッソ教会でティケットやCD等を販売していました。その後、サント・ステーファノ広場のサン・ヴィダール(S.Vitale)教会が定期演奏場となり、ティケットもCDもここで扱うようになりました。奥様のクラウディアさんがそこの係で常駐しておられました。隣の広場のサン・マウリーツィオ教会が古楽器展示場として入場無料で開かれるようになりました。
サン・ヴィダール馬上の聖ヴィタリス  サン・マウリーツィオ古楽器[左側はサン・ヴィターレ教会、右側はサン・マウリーツィオ教会、両者サイトから借用]  合奏団の初来日の年月日を覚えていません(2000年?)が、東京で催されたコンサートへは必ず聴きに行きました。今回は2012年から連続して毎年の来日で6回目になります。ダーヴィデさんは必ず来日メンバーの一人という訳ではなく、銃後の守りでヴェネツィアでの演奏も大切な様子が分かります。2008年横浜みなとみらいホールでの演奏会の時は、父君のジャンニさん(コントラバス奏者)、姉上のソーニアさん(ヴィオラ奏者)と一家全員の来日でした。

今回、30周年記念故かアンコール曲を大サーヴィスしてくれました。その中でダーヴィデさんのチェロの『フォッリーア』もありました(演奏会曲目にはヴィヴァルディのヴァイオリン曲の“Follia”がありました)。終わった時思わず「ブラーボ」と叫びました。CDでは聞いたことはありましたが、この曲の生演奏は私は初めてでした。You tubeに曲があった筈で探してみました。この曲で今回の演奏の雰囲気を感じて下さい。Folliaです。この曲はスペイン生まれのFolliaを仏国チェロ奏者だったマラン・マレーが編曲したもので、彼の映画『めぐり逢う朝(Tous les matins du monde)』が思い出されます。
ヴェネツィア室内合奏団ヴェネツィア室内合奏団2[左はヴェネツィアの演奏会でのパンフレットからです]  演奏終了後楽屋に伺うと少し時間を割いて呉れました。奥様のクラウディアさん(団長のコニョラートさんの妹さんだそうです)が“Aspetta la cicogna”でサン・ヴィダール教会の売店から引退された後、息子のマリアーノ君の誕生をお聞きしました。その彼が今や大きくなって、父の衣鉢を継いでチェロをやってると語るダーヴィデさんの嬉しそうな表情でした。

奥様のクラウディアさんが出産前、合奏団と一緒に来日された時のことも思い出されます。彼女にはサン・ヴィダール教会でのコンサート時、いつもお世話になりました。私の兄妹達をヴェネツィアガイドした時など、6人分の席をダーヴィデさんの直ぐ前に確保しておいて呉れました。リアルト傍が火事で消防のため、狭い幹線の道が通行止めになった時は、大回りしてサン・ヴィダール教会に到着しました。演奏開始直前でしたが、クラウディアさんがダーヴィデさんの直前の席を確保して呉れていました。

私はテレビ東京の番組『Youは何しに日本へ』が何故か気に入り、深夜番組時代から見続けていますが、所謂ツアーの団体旅行をした事がないので、現地の人の情報で動く事が多く、かつて色々質問を発して接触した伊人の事を懐かしく思い出します。物怖じして引込み思案な人間も、未知の土地では口に出して教えを乞うしかなく、偶然の、個人的接触で知り合うという事態は私にとって驚異的な事でした。
  1. 2017/10/05(木) 00:01:05|
  2. 音楽
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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