FC2ブログ

イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの街案内(23): アルセナーレ近辺

以前コルト・マルテーゼ(Corto Maltese)が案内するガイド、Guido Fuga-Lele Vianello著『Corto Sconto―itinerari fantastici e nascosti di Corto Maltese a Venezia』(LIZARD edizioni、1997)で、ヴェネツィア街歩きをしました。今回3度目となりますが、この地域は私がヴェネツィア語学校通学時、学校のマッシモ先生のお宅をアパートにお借りし、この近辺をあちこち歩き回り、本当に懐かしい地帯です。本を片手に一緒に歩いてみましょう。
Corto Scontoアルセナーレ1アルセナーレ2「このガイドはナポレオン庭園、即ち2年ごとに開かれる現代美術の催し物が開催される、かの有名なビエンナーレの庭園から始めよう。この国際的な展覧会は、詩人リッカルド・セルヴァーティコと評論家アントーニオ・フラデレットのアイデアとイニシアチブで、1895年に始まった。最初展覧会のアカデミック性ゆえに、芸術家達のアヴァンギャルドな運動は拒否され、初めて印象派絵画が認められるのは、1924年を待たねばならなかったし、それは正に1948年のピカソであった。
日本館[日本館 サイトから借用]  各国が自由に使えるパビリオンを持ち、より異質な現代建築には、譬え矮小化されても空間の中にヴェネツィア的感性が表れている。それはヴェネズエラ館のカルロ・スカルパから、オーストリア館のJ.ホーフマンや日本館の吉阪隆正、更にイスラエル館のリヒターから、カナダ館のベルジョイオーソ、ペレッスーティ、ロジャースらまで、そして更にはフィンランドのA.アールトに至るまでが、貴重で象徴的な表現を残している。

運河沿いの岸辺を楽しく歩き、馥郁たる公園の中を、カステッロ区のサンティゼーポ教会[S.Isepo/Iseppo=S.Giuseppe(伊語)]へ向かうと、現在では崩れてしまったサンタントーニオ・アバーテ教会の最後の遺物、素晴らしいサンミケーリのアーチ(16世紀)の傍を通る。

こうしてサンティゼーポ広場に至り、16世紀に再建された上述の教会を見る。それは最初の聖アウグスチノ修道会士[聖アウグスティヌスの作った会則に基づき、修道生活を送っていた人達が13世紀半ばに合同して組織した修道会]の教会であり、更にサレジオ会士[1845年聖フランソワ・ド・サルを守護聖人として聖ボスコがトリーノに創設した修道会]のものとなった。

内部は絵画的には天井全体を覆うフレスコ画が、非凡であると言わないまでも、ジョヴァンニ・アントーニオ・トッリーリア(17世紀)に帰属し、列柱が縦方向に一元化した遠近法擬きで、垂直感と方向性を混乱させる。

テイントレット工房に帰属する絵画作品は別にしても、内陣のパーオロ・ヴェロネーゼの牧者の礼拝や総督マリーノ・グリマーニとモロズィーナ・モロズィーニ夫人に捧げた荘厳な葬儀のモニュメントは左の祭壇にあり、興味深いものである。

レーパントの戦いに捧げられた、この基礎部分は我々がここを訪れる第一の理由である。というのは、この歴史的な船の合戦でのイスラムの影響が明確に表れた、美しい例の一つだからである。祭壇は海軍大将ジョヴァンニ・ヴラーナが注文したもので、彼はその足下に葬られた。

この教会を後にして橋[サンティゼーポ橋]を渡り、[そのまま進み、次を]右に曲がるとセッコ・マリーナ(ヴェ語Seco Marina)通りの突き当りになる手前に小さな祭壇が置かれた古い小広場がある。季節が良いと今でも“真珠を挿した”女達を見ることが出来る。それは首飾り用の小さな真珠の付いた、非常に細い歯で出来た特別誂えの櫛を挿した女達である。
[“真珠を挿した(impiraperle)”とは、imperare(ヴェ語)=infilare(伊語―挿す)で出来た言葉]

来た道を戻り、セッコ・マリーナ通りの反対側まで行き。右へ曲がり、フルラーネ通りへ。そこにはフリウーリの特徴的な建物と全く同じ、1600年代の貧相な建物があるが、彼らはヴェネツィアに仕事を求めてやって来て、定住した。当時のフリウーリの人達は、酒場や洗濯屋、乳母やレストランの給仕等をやり、フリウーリの農民舞踊(furlana)をヴェネツィアに導入し、カステッロ区に大変な支持者を得て、広めた。

続いてサンタンナ運河通りへ行こう。右折し、サン・ピエートゥロ・ディ・カステッロ島と結ぶクィンタヴァッレ橋まで。この長い木製の橋から本当に魅力ある景観を楽しむことが出来る。この辺りは全く観光客の気配がない。長い河岸に舫った沢山の船と古い造船工房、ヴェネツィアの旧司教座聖堂サン・ピエートゥロ寺院の傾いた鐘楼(1482~88年マルコ・コドゥッチによる)、更に左、遠方にはアルセナーレの城壁と塔が見える。カテドゥラーレ寺院脇の建物は、1807年まで総大司教の在所であった。現在では放置されて、中庭(キオーストロ)のみが視認出来る。

左へ行き、1600年代のこの教会前に来ると、パッラーディオ様式建築のオリジナルから色々に改築を重ねていった様子が見て取れる。既に7世紀には、Santi Sergio e Bacco に捧げた教会が存在したと思われる。
[Sergio=教皇セルギウス1世(687~701)は聖人。Bacco=バッコスあるいはディオニューソス]

第一次世界大戦中、大穹窿は焼夷弾を何度か被爆し、越し屋根(ランターン)を破壊された。強調しておきたいのは、優に54m高もある穹窿の偉容で、同名の穹窿、ローマの有名なミケランジェロの大穹窿より、僅か4m少ないということである。

内部を叙述すると、右側に所謂ペトロの説教壇があり、石の玉座はアンティオキアの聖人が使用したと言われている。背板はアラブ・イスラム様式の石の墓碑柱であり、13世紀には多分椅子として使われた。 ……」 (24に続く)
  1. 2017/11/30(木) 00:17:29|
  2. ヴェネツィアの街
  3. | コメント:0
<<ヴェネツィアの街案内(24): アルセナーレ近辺 | ホーム | ザネッタ・ファルージ(Zanetta Farusi)(2)>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

カウンタ

カレンダー

11 | 2018/12 | 01
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

最近の記事+コメント

カテゴリー

ブログ内検索

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

このブログをリンクに追加する

過去ログ

フリーエリア