イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの聖マルコ伝説(3)

(続き)
「翌朝アレクサンドリア港の税関に、このヴェネツィア人が葉っぱで覆った積荷を持ってやって来た。2人は馬鹿を装っていた。税関吏が到着した。しかし彼らはその積荷の中に豚肉の肉片があるのに気付くと、怖がって天を指差し、叫びながら直ぐに走り去った。

「豚だ、豚だ! 早く逃げろ!」

こうしてヴェネツィア人は関税を掛けられることもなく、直ちに積荷の籠を船に乗せ、帆を揚げて沖に漕ぎ出し、順風で帰航の途に就いた。航海中、闇夜の中で突然時化に襲われ、沈没の危機の中で、聖地巡礼からの帰りで乗船していたドメーニコ会士の夢の中に聖マルコが現れたのだった。僧は水夫を起こし、手遅れになる前に大急ぎで帆を降ろさせた。

ヴェーネタ潟まで辿り着き、1月31日に潟の端の島に一時停泊し、総督に伝えた。

ヴェネツィアでは聖マルコは信心信仰の対象というよりは、愛とか熱狂する対象といったことで受け入れられた。ジュスティニアーノ・パルテチパーツィオ総督は名誉ある厳かな祝典を布告し、人々は町の守護聖人として歓呼して迎えた。

1年後教会の建設が始まる。それはまだ全世界が賛美する黄金の寺院ではない。総督の私設の礼拝堂でもなく、遺体は一時的にそこに置かれただけであった。

教会が完成すると、誰かに突如仕返しされることを恐れて、聖マルコの遺骸の入った棺は秘密の場所に移し変えられた。総督と寺院参事会会長だけが知っていた。隠匿場所があまりに極秘とされたため、時を経て知る者が皆無となった。

それは1094年6月25日、総督ヴィターレ・フェリエール時代のことである。神の怒りを鎮めるための、厳かな行列が行われた。その時、奇跡的に壁柱が壊れ、祝福を授ける片腕がはみ出した棺が見つかったのである。

正に僥倖である。何故なら、その日寺院には皇帝ハインリヒ(Enrico)4世が参拝にトレヴィーゾから、丁度来訪していたからである。

こうして賛歌と敬虔な音楽の中で、福音史家の遺体は正しく正当な場所に置かれた。しかしそれもまた秘密裏に処理され、直ぐに忘れ去られてしまった。
サン・マルコ広場サン・マルコ寺院と広場[左、カナレット画『サン・マルコ広場と寺院』。右、ヴィゼンティーニがそれを銅版画にしたもの] 見付かったのは正しく偶然で、1817年、寺院の中のコンタリーニ地下祭室でであった。紆余曲折の経緯の後、聖マルコの遺体の棺は最終的には、主祭壇の聖体拝領台の下に安置されている。」 (終り)
 ――Armando Scandellari『Leggende di Venezia(ヴェネツィアの伝説)』(Ediziona Helvetia、1984刊)より。
  1. 2008/11/22(土) 00:02:42|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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