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イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの街案内(25): アルセナーレ近辺

(続き)
「この道の終り近くの右側に、また別の特徴的な居酒屋"Sottoprova"(ソットプローヴァ)がある。店の外に腰を下ろすと目前に、どことも知れず向かう、出発準備OKの船の舳のように在る5世紀の建物(後に改築)がある。偶々ということではなく、事実、航海者ジョヴァンニとセバスティアーノ・カボート父子が生活した自宅である。
[ジョヴァンニ(1445~98)はラーツィオのガエータ生れのヴェネツィア市民。英国ではジョン・カボット]
カボート家ジョヴァンニ[左、カボートの家、右、ジョヴァンニ。サイトから借用]  ジョヴァンニはイギリス王ヘンリー8世の出資を受け、クリストファー・コロンブスが進んだ航路よりずっと北の航路を選び、カナダを発見した[1497年6月24日]。その地にイギリス国旗と共にサン・マルコ旗を立てた。その帰路ジョヴァンニは亡くなり、息子セバスティアーノは父の世界航海に付き従っていたが、南アメリカの未知の航路を探検し続け、北・東航海に活気を与えた。

サン・ビアージョ橋と海岸通りへ向かい、右へ曲がると、スキアヴォーニ海岸通りへ向かう道を歩くことになる。スキアヴォーニとは“スラヴ人“をこう呼んだが、もっと詳しく言えば、ダルマティアのスラヴ人である。彼らはこの海岸通りに上陸するのが常だったし、カストラディーナ乾肉を販売した[マドンナ・デッラ・サルーテ教会の祝日に伝統的にちりめんキャベツと共に料理して食べる、燻製塩漬けした乾燥去勢羊肉]。一緒にbojana[ボーヤナ](scarabina(ニシン科の小形の淡水魚)というアルバニアから運ばれてくる乾し魚)も売られた。

スキアヴォーニ海岸通りは、1780年に道幅が拡張されたが、パーリア橋からカ・ディ・ディーオ橋までの道である。ここからジャルディーニ公園までは造船工場が相次いだものである(この辺りには有名なMASやぼろ屋が立ち並び、第一次・第二次世界大戦で使用された哨戒艇が製造された造船所SVAMもあった)。ぼろ屋はラグーナにはよく見掛けたものである。造船場の役をする二つのアーケードの、ヴェネツィア式の海の家は今でも目にするものである。そこでは船を岡に上げ、船板に生じた隙間等に詰め物をして防水する。

1935年にはカ・ディ・ディーオとジャルディーニ公園を繋ぐための工事が始まった。そしてこの長い区間の海岸通りは、1937年3月23日に完成し、町でも最も美しい散歩道の一つと繋がることになった。

最初この新区間は、その時代から言えば、“ムッソリーニ”と呼ばれる筈だったが、イタリアの、アフリカでの征服を祝って“帝国海岸通り”が採用された。ファシズムの崩壊でナチスファシストに銃殺された7人のパルチザンを記念して、“七殉教者海岸通り”と改名された。
船舶博物館[サイトから借用]  船舶歴史博物館(Museo storico navale)がある。二つの堂々とした碇が、海の遺産の壮大なコレクションの番人役を勤めている。司令長官ナーニ・モチェニーゴの寄贈により、第一次世界大戦終り直ぐに誕生し、セレニッスィマ時代から現在までの素晴らしい海洋物品の数々を展示しながら、拡張されてきた。

ここには武器、船具、計器類、制服、旗類、オリジナルの船、イラスト、絵画があり、全世界の海そしてあらゆる時代についての我々のイマジネーションを飛翔させてくれる。この理由故に、この海の王国で出会うことの出来る事を、微に入り細を穿ち、驚嘆に至るまでを述べることは慎みたい。しかしお勧めしたい事は、静かに歩き、出来るだけ興味を持ち、ここそこに立ち止り、殊更興味を惹かれた事に注意を向け、イマジネーションを更に易々と羽ばたかせ、航海させることである。

1900年の血生臭い義和団の乱時代に遡る大変興味深い小型の機関砲がある。それはコルト・マルテーゼが“Arcana(謎の)“と言った時代、上海から満州、シベリアにまで金塊を運ぶ列車に乗って、コルト・マルテーゼが中国を冒険したことを想起させる。

2階に上るとティントレット派描く“船長達”の素晴らしい一連の肖像画を愛でることが出来る。3階の左の第2室には、僧マッフィオレッティ描く素晴らしい興味津々の色版画があるが、ナポレオン占領前の1797年の地図である。それはアルセナーレの広い地域での造船行程の色々の場面を正確無比に描いていて、注意深く観察すると、その素晴らしい流れ作業が分かり、組立作業の効率的な繫がりを通して、構造的に複雑で相当な規模の船舶を完成させる、その超スピードを理解させるのである。

ブチントーロ船のモデルは、博物館の自慢の一つである。ブチントーロは黄金で覆われて貴重な、素晴らしい船だった。キリスト昇天祭(ヴェネツィアではセンサという)の祝日、総督はあらゆるタイプの、何百という華麗で、満艦飾の船に付き従われて、リード島の直前の海で、シンボリックに海との結婚式を挙げるのである。

それは998年に始まるヴェネツィアでも最も厳粛な祝祭だった。仏軍の占領という形でヴェネツィアにナポレオンが居座ったその日、彼がヴェネツィアを辱めるのに何よりも最たる事として選んだのは、最も栄えあるシンボルの代表、ブチントーロを焼却し尽くすことであった。

博物館で鑑賞出来るモデルは、1837年アルセナーレで再建造された。画家イッポーリト・カッフィの、イタリアの海に浮かぶ船のデッサンと共に、2枚のパネル画は、洗練されたその軽快さ故に注目に値する。海軍の制服と各種の旗を収めた部屋でこの階は終りとなる。

4階には難破や嵐から避難出来た船乗り達の“奉納物”の興味深いコレクションがある。他の部屋にはラグーナの典型的な船・舟のモデルや研究資料の現物が置かれている。
[“奉納物(ex voto)”とは宿願のかなったお礼に、神や聖者に捧げる物、時に祭壇の壁等に掲げる奉納品もいう。――この博物館には日本の古い船舶関連品も数多く展示されています。]

ヴェネツィアに長く住んだ[ヴェネツィア市民となり]、有名な美術収集家ペギー・グッゲンハイムから寄贈された、彼女使用のゴンドラも展示されている。 ……」 (26に続く)
  1. 2017/12/13(水) 00:02:10|
  2. ヴェネツィアの街
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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