FC2ブログ

イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

北海道古平町豊浜トンネル崩落事故

北海道古平町豊浜トンネル崩落事故を知ったのは、ヴェネツィアのザッテレ海岸通りの戸外のテーブルで食事している時でした。その事故は1996.02.10日午前08.10分頃だったそうです。

実は昨日、所ジョージさんのダーツの旅で、ダーツが北海道の古平町に命中しました。その時私は外出する直前で、番組を見ずに終わりましたので何も言えませんが、この町についてある記憶が残っていました。

ヴェネツィアのザッテレのレストランで昼食をしている時(前方にレデントーレ教会が望めます)、隣席の仏人夫婦(仏語が聞こえました)が、TVで見たと英語で話しかけて来ました。《昨日オッカイド(北海道)で地震があり、岩が落ちてバスを潰し、子供達が死んだ》と。帰国して調べてみると地震ではなく、北海道古平町豊浜トンネル崩落でバスに乗っていた20人の若い人達が圧死した事故でした。ダーツの旅でそんな事が思い出されました。

この仏人夫婦には、翌日街歩きをしている時、サン・マウリーツィオ広場でまた出会い、今度は"Bonjour"と挨拶しました。そんな“えにし”がまた不思議でした。

我々夫婦は1996年、初めてのヴェネツィア・カーニヴァルを見学に、2月初めにはヴェネツィアに到来し、既にその時焼失したフェニーチェ劇場を見ていました。焼失前にこの劇場でオペラを見たいと思っていましたが、叶いませんでした。出発前、2年前に知り合ったミラーノのマルコが、お前の好きなヴェネツィアの劇場が全焼したと手紙で知らせてきました。焼失後4日で届く超速達便で、イタリア出発前に届きました。イタリアにしては、そのスピードは摩訶不思議!
[フェニーチェ劇場焼失については、2009.03.07日のカーニヴァル 1で触れました]

1996年のカーニヴァルは現在のものと大分異なっており、隔世の感を覚えます。1979年に仮面のカーニヴァルのイヴェントを始められたコンパニーア・デ・カルザ・イ・アンティーキ(中世の貴族の若者がこの名称で街を活性化していたそうです)のメンバーであったサンタ・マルゲリータ広場のロバートさん達はもう広場におられません(イタリア語学校はこの広場にあります)。

ヴェネツィアのカーニヴァルは2018.02.03~2018.02.13日だそうで、既に開始しています。私の初カーニヴァル体験の一端を書いてみました。
  1. 2018/02/04(日) 23:59:08|
  2. ニュース
  3. | コメント:0
<<ヴェネツィアのカーニヴァル2018 | ホーム | ヴェネツィアの現在: アックァ・バッサ(低潮)>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

カウンタ

カレンダー

07 | 2018/08 | 09
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

最近の記事+コメント

カテゴリー

ブログ内検索

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

このブログをリンクに追加する

過去ログ

フリーエリア