FC2ブログ

イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの本: ヴェネツィアの今が記述された

内田洋子さんといえば、『イタリアン・カップチーノをどうぞ』(PHP研究所)以来、イタリアのあれこれを著述出版されて来た方ですが、今回『対岸のヴェネツィア』(集英社、2017年11月7日)を見付け、読んでみました。ミラーノ在住の内田さんはこの本を書かれるに当たり、わざわざヴェネツィアにアパートを借り、生活されたようです。
内田洋子『対岸のヴェネツィア「……日帰りで訪れることができるのに、なぜ住んでみようと思ったのか。
『今さらヴェネツィアでもないでしょうに。二週間もいれば、それで十分ではないですか』
引っ越しを告げると、人から呆れられた。たしかに見知らぬ町を訪ねて相当に魅力的でも、引っ越しまでしてもっと知りたいと思うことは少ない。

ところがヴェネツィアは違った、一泊二泊と滞在日数を増やすにつれ、唯一無二の魅力にますます気圧された。一生のうちでは到底知り尽くせない、とすら思う。いればいるほど、いたたまれない気持ちになる。矛盾した思いで、毎回町を後にしていた。それは、書店や図書館を出るときの気持ちとよく似ていた。

〈生きているうちに、このうち何冊を読めるのだろう〉

読書に冊数の多少は関係ない、と自分に言い聞かせつつも焦る。未読の本が待っている、と喜べばいい。ヴェネツィアも来るたびに、無尽蔵の魅力に打ちのめされる。未踏の地があっての冒険だろうに。

住み始めると、焦燥感はなおさら強まった。足が路地を覚え、風向きや潮の匂いで空模様を当て、運河の水の色で時刻がわかるようになると、町はますます遠のいていった。

ヴェネツィアは、扱い難い女性だ。自己本位の若い女ではない。酸いも甘いも噛み分けた老熟の女性である。知れば知るほど、謎めいている。いま華やかに談笑していたかと思うと、次の瞬間には暗がりで黙って座っている。その揺れ幅と不可解さに惹かれる。追い掛けては見失う。期待と失望を繰り返し、気持ちの休まるときがない。

ヴェネツィアが常に湿っているのは、ただ水に囲まれているからだけではないだろう。この町の奥には、倦怠感が潜んでいる。熟れた吐息が漂う。 ……」

かつて須賀敦子さんの著書を読んだ時、ヴェネツィアに住んでいらっしゃればそんな事は絶対に書かれる筈はないと思われる事が書かれてあり、非常に残念だったことがありました。流石、ジャーナリストは違うと今回思いました。やはり土地を知るには、その地に住まないとその細密な機微に触れることが出来ないのでは、と痛切に教えられました。

私の伊語の先生のお一人はフィレンツェに10年住まわれた方でしたが、ヴェネツィアのザッテレ海岸通り(Zattere―かつて筏等の陸揚げが行われていたことからこの名が残ったらしい)を、単なるzattereと誤解され、通り名でなく訳されたことがありました。ヴェネツィアに一ヶ月でも住んでおられればと思ったことでした。

しかしヴェネツィア観光するにはこんな些末な事は全然関係ありません。
  1. 2018/03/07(水) 18:03:06|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
  3. | コメント:0
<<ヴェネツィアの街案内(30): リアルトからザッテレ海岸通りまで | ホーム | ヴェネツィアの現在: 雪のサン・マルコ広場>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

カウンタ

カレンダー

09 | 2018/10 | 11
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -

プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

最近の記事+コメント

カテゴリー

ブログ内検索

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

このブログをリンクに追加する

過去ログ

フリーエリア