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イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの街案内(31): リアルトからザッテレ海岸通りまで

(続き)
「ゴッボを後にすると、1300年代から海上保険の本拠地があったセクルタの通りがある[セクルタ=ヴェ語Securtà/Segurtà=伊語Sicurtà、現在のAssicurazione(保険)].
サン・ポーロ区とドルソドゥーロ区この魅力的な広場の左にはリアルトのアーケード、オレージ通り(Oresi=伊語Orefici(金銀細工師))に沿ってアーチ下の、古い雰囲気を残すパラゴーン(伊語Paragone)通りが走っている。事実、工房の倉庫や市場の露台の収納倉庫になっている。その通りのある角に、小さなバーカロ“Sacro e Profano”があり、飲みたくて仕方のない連中が立ち飲みに足を止める。

アーケード終り近く目を上げると、フレスコ画(1500年代半ばの作品)の描かれた丸天井の、修復で輝きを取り戻した結果を目にするだろう。今やこの辺りは、市場と共に朝5時には人々の活動は始まり、それぞれがこの地域特有の顔を持った元気印で、最高の集中力を示している。

この地域のバーカロに行けば、君達にこの町の真実の局面を発見させられるだろうし、あらゆるものが芳香馥郁たる表情で、この祝祭エリアの虜にしてしまうだろうことは確かだが、糅(か)てて加えて、色々な濃度の美味しいアルコール飲料が世の中全てを薔薇色に見せ、この街歩きを続行する気を萎えさせてしまう。
Antico Doloヴェッキア・サン・ジョヴァンニ通りに出たら、幾つか思い出して頂きたい場所がある。一度は訪れたい“Antico Dolo(アンティーコ・ドーロ)”、更にメルカンティ(商人)同信会館のシンボルを描いた16~17世紀の盃が見付かれば、皆に愛されたバーカロ(Osteria)“Do Mori”[Do=伊語Due]は近い。
Do Moriの鍋[ド・モーリ(二人のムーア人)には、天井に胴製の鍋のコレクションがあります。チケッティ(ヴェ語cicheti)にはmusetto caldo、coppa di toro、fagioli in umido piccanti con l'acciuga等。私はリアルト近辺に宿を取ることが多く、ヴェネツィア街歩きは先ずド・モーリでプロセッコを1杯引っ掛けてから始まりました。ここのプロセッコ、最高! カーニヴァルの時、朝簡単な仮装して行くと、小父さんがカウンターから出てきて「お前の髪は乱れている」と仮装に被っていた白色のナイロンの鬘の髪を鋏で整髪して呉れました。2011.12.31日のバーカリで、ド・モーリを紹介しました。]

ヴェッキア・サン・ジョヴァンニ通りを行き、大運河のヴィン(Vin)通り方向にヴェネツィア人に愛されたレストラン、“アッラ・マドンナ”がある。
[マドンナには何度も行きましたが、ヴェネツィア人が子供の誕生日を祝う風景を見たのはここが初めてでした。♪Tanti auguri a te…♪ 傍にいた日本人にもドルチェのお裾分けがありました。Grazie !]
野菜市場ペスカリーア野菜市場の屋台を経巡った後は、大運河脇のペスカリーア(魚市場)傍まで行くと、その日の旬の食材等の最新情報を顧客達に声高に呼び掛ける声を聞き、ベカリーエ広場の色々の色や芳香に陶然として、ヴェネツィア人にとって海港であるかのようなオステリーア“Pinto”が我々の入港を待ち受ける。特に土曜日は、買い物袋をはち切れそうにしてプロセッコのグラスを傾けながらお喋りに余念がない人々が夥しい。
[知り合ったヴェネツィア生まれのファビアーナのお宅に何度か招かれました。友達の魚屋のジャンニの店で買い物をする彼女にばったり出会い、ジャンニと友達という事に驚いていましたが、魚の値段を知らず所持金が少なく、直ぐ近くに事務所を構える夫にお金を持ってきてくれと電話していました。彼女のお宅で魚料理は見掛けません。また語学校で知り合った日本人は、生食をするホンビノス貝の料理方法を家の女主人に尋ねると煮るように言われたと言っていました。何しろ生食用ですから高価な貝です。火を通したら本当の味が分かりません。魚の事をあまり知らないヴェネツィア人も結構いるようです。魚屋のジャンニについては、2010.04.17日のアッカデーミア橋で触れました。]
Posto Vecieと魚市場ペスカリーア脇の小さな木の橋の向こうに、セレニッスィマ時代の郵便事業の在所であったその場所にレストラン“A le Poste Vecie(古い郵便局)”がある。かつてフルヴィオの経営になり、フーゴ・プラットも記憶すべき宴を催した特筆すべき場所である。
[私も初めてヴェネツィアに来た時、ここで夕食を摂り、最近はここがホテルもやっていることを知り宿泊しています。写真はホテル窓からレストラン入口の飾られた木の橋を見下ろしたところ。向かいは魚市場の建物。]

もし本当にこうしたオステリーア(バーカロ)に興味が湧いてきて、君達に提案するこの迷路のような路地を辿る冒険心が素直に湧くかどうかは分からないのだが……。ベカリーエ(肉屋)橋を渡りカペレール(帽子屋)通りを通り、ボテーリ(桶屋)通りへ行こう。                                                                                       
この道の裏、隠れたように、平行に走る通りと繋がって、(今はなき古劇場)テアートロ・ヴェッキオ小広場の鉄格子の上に、13~14世紀のギリシアの大理石で作られた非常に興味深い浮彫りがある。それは背中に犬を乗せたヒトコブラクダで、我々にも興味を抱かせるお話があるということである。……」 (32に続く)

サン・カッスィアーノ教会(ヴェ語San Cassan)裏のテアートロ・ヴェッキオ小広場のTeatro di San Cassiano Vecchio(古)について――1580年ミキエール家によって建てられた木造建築劇場。パルコ式の観客席で、劇場内部は卵型。スキャンダルに満ちた悪辣な行為が頻繁だったらしく、全てのパルコ席は後背部にドアはなく、オープンで誰でも中へ入れたし、内部を見ることが出来たということです。1500年代末のカーニヴァルの時まで、喜劇の上演で劇場は続きました。
一方、Teatro di San Cassiano Nuovo(新)については、2008.06.20日の世界初オペラ劇場で触れました。
  1. 2018/03/22(木) 16:50:08|
  2. ヴェネツィアの街
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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