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イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの街案内(33): リアルトからザッテレ海岸通りまで

(続き)
「小広場を後にして、右のカ・ブレガディーン通りへ、更に右へデ・ラ・レジーナ通りへ行く。ちょっと離れた所に神話的な“fritolin”(例の黄土色のテーブル・クロスに用意されたポレンタと魚の唐揚げを食べさせてくれる)店があり、今や改装されて、品位あるエコノミックなレストランになった。右には軒下通り下に“Nono Risorto”のトラットリーアがある。
[Nono, Noni, Naniは古いヴェ語で漁師を意味するらしい事を入口に座っていた小父さんが教えてくれました。“復活した漁師”です。]
Nonoレストラン更に進み、直ぐ左へ曲がり、サンタ・マリーア・マーテル・ドーミニ広場に入る同名の橋を渡る。ここはプラットのお話、ヴェネツィア物語で、コルト・マルテーゼがマッソーニカ回廊の天井から飛び降りて、夜の銃撃戦を繰り広げるミステリー溢れる舞台となった所である。左側には、13世紀のヴェーネト=ビザンティン様式の美しい四連窓のザーネ館があり、橋の右前には14~15世紀の美しいゴシック=ルネサンス様式のバルバロ館がある。
ハイデルベルク 絵葉書[絵葉書の新シリーズ]  [このS.M.Mater Domini橋の直前左角には16世紀のゴッズィ館があり、この館に生まれたガースパロとカルロのゴッズィ兄弟については今まで何度も触れています。“ゴッズィ”でブログ内を検索してみて下さい。代表として2008.07.04日のストゥーア広場を掲載しておきます。またザーネ館1階に絵葉書屋さんが店開きしており、近くを通り掛かった時、寄ります。ここの絵葉書を印刷している、日本でハイデルと通称する印刷機は優秀で、手書き絵葉書は非常に美麗で、新シリーズがあった時は何度か購入しました。]

教会脇を右に回り直ぐ左に折れ、クリスト橋を越え、スペツィエール(薬草屋)小広場を過ぎ、サン・スターエ運河に面したグルーエ(鶴)運河通り方向へ左折する。通り半ば左に魅惑的なフィラトーイオ(製糸工場)軒下通りがある。ここにはかつてミステリアスな壁画が見られ、それは尾っぽを数字の8の字に巻いた形に寝そべった蛇だった。尾っぽの下に7つ突起の星形を置き、頭の上に三日月を掲げた永遠のシンボルであった。

運河通りをそのまま進み、左に曲がる前に直前の玄関の上を見上げると、13世紀のヴェーネト=ビザンティン様式の化粧板がある。そこに描かれているのは、2匹の孔雀と走駆する獅子の頭を啄ばむ鷲であり、誰かが鶴と誤解した孔雀が運河通りの名前になったと言っている。
サン・ボルド広場[ポンテ・ストルトからサン・ボルド広場、サイトから借用]  モーデナ通り方向に前進する。橋を渡越し、キエーザ(教会)大通りへ進み、右折しサン・ボルド広場に出る。ヴェネツィアでも小さくて魅力的な一画の広場(Campo)である。古い鐘楼が上部を切断され、グリマーニ館脇のかつて存在した教会共に住居に転じた。運河の交差点であり、歪んだ橋(ponte storto)との景観は、この場所に摩訶不思議な雰囲気を与えている。

パルケータ(peruchetaとも。小さな鬘の意)運河通りへ向けて橋を渡越。ここに店を構えていた商人が被っていた奇妙な鬘から、近所の人々が悪ふざけで言い出したことからの通り名である。
タリアピエーラ[サイトから借用] テントール(染物屋)通り方面へ右折すると、左手の有名なピッツァ屋さん“Ae Oche”の手前に、アーケードの背後にタジャピエーラ(石工)小広場(corte)に通じる道がある。この活気を取り戻した小広場は、下は煉瓦が敷き詰められ、庭全体に植木や花が満ち溢れ、女性の馥郁たる優雅さが辺り一面に発散し、ボッカ・ドラータがここにヴェネツィア滞在を決めたのは宜なる事であった。
[染物屋はTentorだそうですが、ヴェネツィア語ではジョルジョーネをZorzonと言うように、天正使節・伊東マンショの肖像(先頃来日しました)を描いたドメーニコ・ティントレットはTentoreto Giovineとか言うのでしょうか。]

引き返し、運河に面した軒下通りを抜けた後、右手には町の漕ぎ船専用の貸し船屋さんがあった場所。元の道を進もう。こうして美しいサン・ジャーコモ・デッローリオ広場に至る。古い教会の後陣の前に、オリジンが10世紀に遡るものがあるのだが、当時13世紀前に再建され、続いて16世紀更なる改築が行われた。中でも内部にはヤーコポ・パルマ・イル・ジョーヴァネの忘れ難い絵画作品、ゴシックの竜骨構造の天井、ある異教の神殿から到来したイオニア式の柱頭を持つ緑の大柱がある。
[広場北のラルガ通りをサン・ボルド運河沿いに北上すると直ぐメージョ橋です。Rm.megioが右の通りで、左のCa. del Spezier(薬草屋)とFdm. del Megioが左にあり、その角にマリーン・サヌード(伊語Marino Sanuto)の生家があります。サヌードについては2017.08.24日のマリーン・サヌードで触れました。]
サン・ジャーコモ・デッローリオ[サン・ジャーコモ・デッローリオ教会、サイトから借用] 広場左手には、1671年の生理医学研究所の古い建物があった。直ぐ左の橋は、事実“dell'Anatomia(解剖学の)”と呼ばれた(この解剖教室は橋の向こうにあり、1800年代焼失した)。
[2008.08.31日にパードヴァ大学でこの広場の解剖教室について触れました。]

教会後陣に背を向けて左の館に目をやり、ファサードに近付いてみると、窓の抱き枠が奇妙なことに気付く。これは事実通常の四角形ではない。教会に向けてではなく、広場の広がった方向に向けて窓を作ったように見える。好かれてもいないユダヤ人も教会に目を向けて欲しいとこんな作りをしたと言われている。
il Refolo広場内部に足を向け、12世紀のヴェーネト=ビザンティン様式の鐘楼を見上げよう。聖ゲオルギウスを示す盃が興味深い。ピオヴァーン(教区司祭)小広場には教会の入口が口を開け、河岸通りに“Refolo(レーフォロ)”のピッツァ屋さんがある。 ……」 (34に続く)
  1. 2018/03/31(土) 23:27:19|
  2. ヴェネツィアの街
  3. | コメント:0
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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