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イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの街案内(35): リアルトからザッテレ海岸通りまで

(続き)
「この壮麗な教会を後にして、後陣に沿って右へ廻り、サン・ロッコ教会へ向かう。聖ロクスに捧げられた教会は別にしても、町のまた一つの宝石、サン・ロッコ大同信会館が聳えている。その遺体が教会に祀られているこの聖人は崇拝され、疫病やペスト等から守護されるよう祈願され、毎年8月16日大祭が行われていた。政庁の高位高官の来駕のために広場に大きな天蓋が設置され、古い作品や新しく描かれた絵画作品が館のファサードに掛けられたものである。
サン・ロッコ大同信会館[写真はサイトから借用]  同信会館はボンとスカルパニーノの手になる(2人の芸術家が相手のプロジェクトに介入して融合させることが出来たのだと気付いてみれば、それは素晴らしいことである。事実ファサードの下の部分は、中央の装飾的扉口は別にして、ボンの作品であり、上階と扉口はスカルパニーノの手になる)が、建築は1515年に始まった。そしてそれは正に会館のために一連の絵画を描いたヤーコポ・ティントレットの勝ち取った勝利だと思われる。ローマのサン・ピエートロ大聖堂のスィスティーナ礼拝堂を飾る壮麗な作品群とある人が比較していたほど、著名なのである。
サン・ロッコ、パンフレットAdorazione dei Pastori[左、サン・ロッコ大同信会館パンフレット、右、パンフレットからティントレット画『Adorazione dei Pastori』]  しかし我々は、この傑作群について君達に説明する仕事は他の人に任せて、先を急ごう。そして同信会館の左の脇道カステルフォルテ通りから同名の広場へ行く。ここで左折し、同信会館下の軒下通りを抜け、我らが友、プラットに大変愛されたそこの小さな橋を渡る。広場に前の運河に面した2階の窓が風見や風車、複雑な装置であってほんのちょっとした風が通るとそれが動き始め、通行人にとっては楽しいお祭りなのだった。

残念ながら今では数年前から、こうした昔ながらの思い付きは取り払われてしまい見られないが、埃まみれの天井も姿を消した。自動装置の悲しい終焉である。

いずれにしても目線というものは非常に暗示的であり、ちょっとしたファンタジーの断片も失われていくことに対するノスタルジーがある。次なる出会いに赴こう。ビザンティン皇帝である。

渡橋し、デイ・プレーティ・オ・デル・ピストール(パン屋)通りとの交差点まで直進しよう。右手に学生達の溜まり場“Caffè Blue”があるが、左折し、更に右折し、サン・パンタローンと通りの終りまで行く。そこで左手のカ・アンガラーン小広場へ入ってみよう。町でも今まであちこち移動してきた彫刻の一つがここにある。ビザンティン皇帝像(12世紀のコンスタンティノープル作品)である。ワシントンのダンバートン・コレクションに類似の物がある。
アンガラーンの像[サイトから借用]  研究者によると、イサキオス2世(Isacco Ⅱ Angelo―1185~1195)か、あるいは彼の弟のアレクシオス3世(Alessio―1195~1203)ではないかという。他の研究者は10世紀の物で、賢帝と呼ばれた文人皇帝レオ6世(Leone VI detto il Saggio o il Filosofo―866~912)であると主張している。

壁面に掛かるこの素晴らしい円板がどこへ行ってしまうのか、あるいはソロモンの小さな鍵(Clavicola di Salomone―レメゲトン)という宝物を秘匿してしまう神秘の中で、何とかしてこの古い円板が立ち戻って来はしないかと、ミスティックな心持でこの小広場を後にしよう。 ……」 (36に続く)
[ヴェネツィアの館の門等の上に掲げられて、よく見掛けるこうした浅浮彫りを、“Patera(パーテラ)”と言います。]
  1. 2018/04/11(水) 19:16:02|
  2. ヴェネツィアの街
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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