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イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの街案内(36): リアルトからザッテレ海岸通りまで

(続き)
「ここを後にすると右手にサン・パンタローン教会がある。内部の天井に、目を見張る巨大な画布の絵[イタリア最大―総督宮殿のティントレットの最大の物は板絵です]がある。ヴェネツィア人ジャン・アントーニオ・フミアーニが25年間(1680~1704)掛かって描いたもの。彼はここに葬られた[1710―制作中に足場から転落死したそうです]。有名な遠近画法の効果に溢れた絵画は、人生の最重要な時と聖パンタレオヌスの重大な瞬間を描いている。
サン・パンタローン教会[サンタ・マルゲリータ橋からの写真はサイトから借用] この教会を後にしてサンタ・マルゲリータ橋を渡ると、サンタ・マルゲリータ広場である。ここには学生っぽさに溢れたお祭り騒ぎ的、屈託のない雰囲気が漂っている、という事は大学が程近くにあり、そうした場所が広場の周りには色々広がっている。謂わば我らがカルティエ・ラタンなのである。バール、カッフェ、ビヤホール、軽食堂、朝から夜遅くまで、一人ぼっちである事は出来ない。
サンタ・マルゲリータ広場の屋台広場に入ると、右手、現在は無くなってしまった教会、1600年代の大理石の欠片がふんだんに残る、その鐘楼の上半分を切り取って出来た建物の前に、石の美しいドラゴンのため、Ai Do Draghi と呼ばれる最初の小さなバール(Baretto―ここで元気回復の美味しい飲み物が飲める)がある。

左には小さな小広場に通じる軒下通りがある。そこには小麦粉を売る商館があり、その前に壁で塞がれた柱廊があって、かつて堂々として魅力的な井桁が目立っていた。
皮革職人同信会館広場では魚と野菜の市場が開かれる。セレニッスィマが設置した、カステッロ区のターナ運河通りやリアルト魚市場の、販売の魚の最小の大きさを記した石版があるが、それとはまた別の物がここにあることに気付く。これは広場中央のヴァロテーリ(Varoteri―毛皮製造業者)同信会館の小さな建物壁面に嵌め込まれたもの。以前はジェズイーティ広場にあったもので、そこから持ち込まれた。ここには信者会に崇められた聖母の大理石の浮彫りが置かれた。
[碑文の魚名を一番(barbon)から訳してみますと、ヒメジ、メバル、イワシ、アンチョビ/スズキ、ヨーロッパキダイ、クロダイ、ニベ/sparo、小型のボラ、ボラの一種、pleuronectus/lotregan、meciato、ボラの一種/タラ、舌ビラメ、小型のヌマガレイ、ヒラメ/ウナギ、カキ、ムール貝(peocio)]

左手先方には“Antico Capon”のオステリーアがあり、右手には“il Caffèがある。ここで一服しよう。戸外のテーブルに腰を下ろし、周りを取り巻く生活の匂いに魅了されながら、何か美味しい物でも飲もう。目を上げると、背後の右手の家は、ヴェネツィアではかなり珍しい事だが、トスカーナ風の突き出した屋根を持つ家である。この場所の前の角には、新しいビヤホールがあって、夜遅くまで店を開き、騒々しい若者達の溜まり場である。

更に進んで角の裏に、サルデーニャ料理の店、“L'Incontro”があって、そうした場所は無くなることはないのだが、この町はミゼリコルディア運河通りとそれに続くオルメズィーニ運河通りと共に益々活気をなくしているのか。この広場は夜にもまた訪れたい。

“Il Caffè”と右手の1300年代の瀟洒な家の間には、フォースコロ=コルネールの美しい小館があり、そこを後にしてこちら側を進んでいくと、カルミネ教会の1300年代の美しい大門に向かって漫画とファンタジー専門の書店“Solaris”がある。

右手にロンゲーナのファサードで覆われ、ティエーポロの9点の画布を収めるカルミネ同信会館がある。美術研究所の入っていた元修道院のある広場を通り抜けて、ソッコルソ運河通りを行こう。 ……」 (37に続く)

[私がこの広場を初めて見たのは1994年でした。2000年の大聖年にはこの広場にある語学学校に3ヶ月以上通い、以来2006年まで毎年数ヶ月ずつ、この広場まで通学しました。お店等随分変わりました。ここに書かれている事は私がここで呼吸する以前の事のようです。通学以後も、店等変化はあるようです。2012.01.21日にサンタ・マルゲリータ広場(1~3)を書いています。

例えば学校の真向かいにあった書店は美術本等割引で売っていましたが、店のドナートさんは現代のコンパニーア・デ・カルザ・イ・アンティーキのメンバーで、カーニヴァル時期、このグループの催しの事を教えて呉れました。語学校直ぐ左前の仮面師グェッリーノ・ロヴァートさんもそうで、ロヴァートさんはフェニーチェ劇場再建、最後の美術的仕上げを担当されましたが、お二人とも今ではこの広場でお目に書かれません。2011.02.12日のカーニヴァルでコンパニーア・デ・カルザ・イ・アンティーキについて触れています。

語学校下のバールは、偶々旧マダムに広場で出会った時、中国人にこの店を売ったと言って、懐かしがってくれました。学校の10.30の休憩時にはこの下のバールや向かいのカッフェ・ロッソがコーヒー・タイムでした。ある日喉が渇いて、スプリッツ・コン・ビッテルを注文すると『ダーメ。授業が終わってからよ』と叱られてしまいました。

現在はその店がなくなってしまいましたが、広場南のカルミネ大同信会館真向かいに骨董屋さんがありました。ここでカナレットの景観画をアントーニオ・ヴィゼンテーニがモノクロ版画にしたものを買いました。版画用紙にはヴェネツィア製であることを示す“V”の字が透かしで入っています。ヴェネツィアおたくにとっては宝物です。2012.10.13日にアントーニオ・ヴィゼンティーニについて触れました。] 
  1. 2018/04/19(木) 23:55:10|
  2. ヴェネツィアの街
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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