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イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの街案内(37): リアルトからザッテレ海岸通りまで

(続き)
「ソッコルソ運河通りを行こう。ここから少し行った所に17世紀のバロック様式の堂々たる建物、文芸の保護者だった裕福な一家のゼノービオ館がある。ここに景観画家ルーカ・カルレヴァーリス(1665ウーディネ~1731ヴェネツィア)が住んだ。彼はローマでヴァンヴィテッリの影響を受け、カナレットにカーメラ・オスクーラ(暗室)の使い方を教えたのは正しく彼だったと思われる。カナレットはそれを芸術的に発展させた。

ゼノービオ館は、続いてアルメニア人のメキタル修道会の所有となり、1850年にはコッレージョ(寄宿学校)となり、現在でも60人ほどのアルメニアの若い学生が居る。管理者に丁寧にお願いすれば、入館が許され、かつて町で最も美しいとされた庭園の一つを見学出来るだろう。ここにはコルト・マルテーゼも友人のトカツィアンに会いに訪れたことがある。今では図書館になった庭の奥の建物で、何時間も寛いでお喋りしたのだった。

サン・マルコの裏手に隠れたようにある1600年代の小さな教会を持つアルメニア人共同体は、次第に成長し、1717年にはハンセン病患者の収容所が以前建っていたため、放擲されていたサン・ラッザロ島を政庁から住んでよしと貰い受けた。この庭園を後にして、運河通りを行くと、ソッコルソ橋の前にサンタ・マリーア・アッスンタの保護所とオラトーリオが建っている。
ティントレット画『ヴェローニカ・フランコの肖像』[ティントレット画『ヴェローニカ・フランコの肖像』、米国マサチューセッツ州ウースター美術館蔵] ソッコルソ(救急・救護)の名の救護所は、1593年高級娼婦であり、閨秀詩人であったヴェローニカ・フランコの要求で建てられたもので、老若の娼婦が収容された。君主(仏国のアンリ3世)や文学者の間では著名な彼女は、彼女に肖像画を捧げたティントレットの愛人でもあった。
[ソッコルソとヴェローニカ・フランコについては、2007.11.03日のVeronica Francoと2010.09.18~2010.10.09日のヴェローニカ・フランコ(1)ヴェローニカ・フランコ(4)(1~4)で触れています。参考にして下さい。]

ソッコルソ橋の向こうに居酒屋“Da Codroma(ダ・コードゥロマ)”がある。右手のグァルディアーニ軒下通りを抜けると、同名の小広場があって、その中央に1500年代の八角形の浮き出し飾りのある切り石で作られた井桁がある。その壁面一回りには、15世紀の建築的な要素のテラコッタが嵌め込まれている。それらの中ではイストラ半島産の石の二つの浮彫りが際立っており、一つは花のモチーフのもの、もう一つは狐と鸛の民話(14~15世紀)を表す非常に馴染み深いものである。

引き返して、右側の運河通りのブリアーティを行こう。それはここに工場を持っていた、有名な水晶細工の製作者である。このジュゼッペ・ブリアーティはボヘミアで3年生活し、水晶製作技術を学んだ後、町に帰ってきた。1730年には、ムラーノ島に小さな工場を作った。この新しい秘術であらゆる物を作った: 花、果物、人物像、動物、テーブルセンター、小庭等をそんな熟練技術で製作し、洗練されていき、いち早く有名となった。

この事が直ぐに他のガラス製作者の嫉妬を呼び、ある夜鉄砲を持って攻撃され、殺されたくなければ立ち去れと脅かされた。こうして彼はここに越してくる許可を得、活動を続けることが出来た。

オリエント的なインスピレーションで作られたゴシックの素晴らしい透かし細工のある、1300年代後半のアリアーニ館の傍を通る。運河通りを端まで行き、この地区を抜けて行く。この辺りはマリッティマ海岸に近い位置故、ガリバルディ大通りについて以前触れたような雰囲気が、何年もの間存在していたが、結局この地域は、普通の人々に紛れて密輸業者が少なくなかったし、山師がこの辺りを徘徊していた。

ここには綿紡績工場や少し先にはタバコ産業が集中していた。こうしてこの街案内の最後の行程に入って行く。 ……」 (38に続く)
  1. 2018/04/24(火) 23:11:01|
  2. ヴェネツィアの街
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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