イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

サン・サムエーレ劇場

ヴァポレットのサン・トマ停留所の真向かいにある4軒のモチェニーゴ館の内、右端の古モチェニーゴ館の中の一隅にあるアパートを借りたのは、「近くにジャーコモ・カザノーヴァが生まれた通りもある」と言われてのことでした。

そのマリピエーロ通り(Calle Malipiero)は、古モチェニーゴ館(Mocenigo Ca' Vecchia)通りからマリピエーロ大通り(Salizada Malipiero)を通り、サン・サムエーレ教会の右脇で左折する通りがそれです。通りの入口に彼が生まれた道だというプレートが掲げてあります。
カザノーヴァの碑1980年代、イタリア文化会館で《チネテーカ・イタリアーナ》という映画の上演会が行われていました。その中で'85年12月にルイージ・コメンチーニ監督の『カサノヴァ回顧録(Infanzia, vocazione e prime esperienze di Giacomo Casanova veneziano)』(日本未公開)という映画が上演されました。ティーン・エージの少年カザノーヴァが色事師に育っていくというような映画で、ヴェネツィアの現風景がたっぷり現れ、記憶に残っています。

映画終了後、観客少ない中に先頃亡くなられた加藤周一さんが、夫人共々お見えになっており、文化会館館長と挨拶されていました。加藤さんが招聘されてヴェネツィア大学で日本文学を講じられたのは、'83年の事だったそうですから、映画でヴェネツィア現風景が観賞出来るとなれば、これは当然の事だったのではないでしょうか。

この通りを過ぎ、更に進むと劇場通り(Cl.del Teatro)があり、現在中学校になっている所に1655年サン・サムエーレ劇場が建てられ、1710年までは特に喜劇を上演していたそうです。現在の中学校前にある橋(P.de le Scuole)は当時は存在せず、そのためアクセスは悪く、サント・ステーファノ教会前の工房通り(Cl.de le Boteghe)から盲人(Orbi)通りを抜け、最奥まで行かねばなりませんでした。

この劇場はその後C.ゴルドーニらの喜劇と、T.アルビノーニ、A.ヴィヴァルディ、A.ハッセ、C.W.グルック、B.ガルッピ[彼はブラーノ島生まれで、ヴェネツィア生まれのゴルドーニとも気が合ったのか、度々コラボレーション(『裏返しの世界』等)をしたようです]らのオペラが交互に上演されたといいます。

1720年には有名なバレー振付師ガエターノ・グロッサテースタも登場します。

カザノーヴァは、父親がここで演じていたのが縁だったのか、1746年ここの楽団にヴァイオリン奏者として雇われます。『回想録』の中で彼は、単なるディレッタントに過ぎないので、演奏はギーコ、ギーコ弦を引っ掻いていただけだと大変謙遜しているそうです。

1761-62年にはカルロ・ゴッズィの四つの台本が上演されました: 『三つのオレンジの恋』(1761①)、『鴉』(1762②)、『鹿の王』(1762③)、『トゥランドット』(1762④)。彼の戯曲は人気があったようで、次のようにオペラ作品の台本になっています。①S.S.プロコーフィエフ(1919)、②A.J.ロンベルク(1794)、J.P.E.ハルトマン(1832)、③H.W.ヘンツェ(1956)、④C.G.ライシガー(1835)、A.バッズィーニ(1867)、F.B.ブゾーニ(1917)、G.プッチーニ(未完、1926年ミラーノ・スカーラ座初演)。

その他にも『蛇女』(1763)が、F.H.ヒンメル『空気の精』(1806)、R.ヴァーグナー『妖精』(1834)の題で、またA.カゼッラ(1932)により、『幸運な乞食達』(1764)がJ.A.ベンダ(1780)により、など音楽作品があります。

1770年この劇場を建てたグリマーニ[カザノーヴァはこのグリマーニの息子と言われているそうです]家が劇場をある団体に売却しますが、演劇とオペラの上演は続けられ、G.パイジエッロやD.チマローザらの音楽劇が上演されました。

チマローザはナーポリで共和制から王政に戻った時、ジャコバン主義者を我が家に匿った(共和国が出来た時、その賛歌も作っていた)廉で4ヶ月投獄され、釈放されるとヴェネツィアにやって来ました。結局サンタンジェロ(Sant'Anzolo)広場のドゥオード館で1801年客死したのでした。
チマローザ[カッフェッティエール(Cafetier)通り入り口、ドゥオード館の碑] 800年代初め劇場は一旦閉鎖されますが、1819年にはG.ドニゼッティの『リヴォーニアの指物師』の初演が行われました(リヴォーニアはラトヴィア地方の歴史的名称)。

1853年にはヴェローナ人ジュゼッペ・カンプローイが新所有者となり、劇場を修復し、新装成って、ドニゼッティの『ポリュート』で再開場しましたが、場所の悪さと他の劇場との競合で閉鎖止む無しとなり、1894年には壊されてしまいました。

次回は借りたアパートからリアルト方面に向かって、サンタンジェロ劇場です。
  1. 2008/12/20(土) 00:01:52|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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