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イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの街案内(40): アッカデーミア橋からジュデッカ島まで

(続き)
「レオーニ運河通りを進もう(向こう岸には小奇麗なレストラン“Ai Gondolieri”がある)。マックス・エルンストと結婚し、絶対に見逃してはならない素晴らしいコレクションを創設した、アメリカの現代美術の有名なコレクター、ペギー・グッゲンハイムの館の鉄格子門の前を通り過ぎ、通りの終りで左折する。
ドルソドゥーロとジュデッカ ヴェニエール・デイ・レオーニ館現在ではこの変わった人物の死後、1階部分のみを残す、建築的にも魅力ある館は、ニューヨークのグッゲンハイム財団の美術館コンセプトに従い、組織された。しかしこの変更にも拘らず、美しい庭と愛された犬達の小さな墓地があって、訪れる魅力が残っている。彼女自身もその犬の墓地の脇に葬られることを望んだ。
[2010.12.05日のヴェニエール・デイ・レオーニ館と2017.09.07日~ のペギー・グッゲンハイム(1~4)をご参照下さい。]
ダーリオこの館での目眩めくような時間の後は、素晴らしい15世紀のカ・ダーリオ館を背にして、サン・クリストーフォロ橋へ向かう。その館はファサードが、ロンバルド工房作品である多色大理石で飾られ、大運河の建物の中でも最も魅惑的な物の一つである。ここに仏国詩人アンリ・ド・レニエが住んだ。この美しい建物には以前から、呪いと死という忌まわしい雰囲気が付き纏い、事実全ての所有者は呪わしい最期を迎えた。
[アンリ・ド・レニエについては、2009.05.23日~ のアンリ・ド・レニエ(1~4)等で触れています。]

眼前のバルバロ小広場は、“el marangon(大工) de soase/ze(額縁)”[額縁屋]ならずとも、この一角は一幅の絵である。先ず左折し、続いて右折。フォルナーチェ運河のサン・グレゴーリオ橋を跨越し、サン・グレゴーリオ広場へ向かい、対岸のサンタ・マリーア・ゾベニーゴの広場に通ずるゴンドラ渡しのあるトラゲット通りへ左折する。
[ここのゴンドラ渡し、トラゲットに関して、2012.08.11日の文学に表れたヴェネツィア等で触れています。]
サン・グレゴーリオ修道院サン・グレゴーリオ教会[左、修道院。右、サン・グレゴーリオ教会後陣、サイトから借用]  更にアッバツィーア軒下通りを抜けると同名の橋である。そこでは1400年代のサン・グレゴーリオ教会の美しい後陣がサルーテ通りにその姿を映し出している。傍には11世紀のベネディクト派の修道院が、大運河に1300年代の大門を向けており、内部には1350年頃のゴシック式の中庭がある。

こうして健康の聖母(Madonna della Salute)に捧げたバルダッサーレ・ロンゲーナの大伽藍の前に辿り着く。古くはここに修道院と至聖トリニタ(三位一体)に捧げた教会が建っており、この教会は1256年、ジェーノヴァとの戦いでドイツ騎士団が助力してくれたことを受け、共和国が彼らに贈呈しものであった。
[ドイツ騎士団とは、日本ではチュートン騎士団として知られ、テンプル騎士団、聖ヨハネ騎士団と共に中世の三大騎士修道会の一つ。聖地パレスティナに巡礼するキリスト教信者の護衛と病院設立の目的で設立されたもの。1291~1309年本部がヴェネツィアに置かれていたそうです。ヴェネツィアとマルセイユはエルサレム巡礼船便の2大拠点だったということに関連があったのかも知れません。]

テンプル騎士団とマルタ騎士団のようにこの騎士団はエルサレムとパレスティナのキリスト教徒の聖地を守護するための騎士団で、1190年アッコン(S. Giovanni d'Acri)でシュヴァーベン(Svevia)のフリードリヒ(Federico)によって創設された。ドイツの騎士団に維持され、ポーランドのヴィスワ川(Vistola)ドイツ領に移り、バルト海周辺の国のリヴォニア騎士団(Portaspada)と混和していった。

ヴェーネトの修道院長は1592年までこの修道院に留まり、その年クレメンス(Clemente)8世は、セレニッスィマと騎士団管区長であったオーストリア皇太子マクシミリアン(Massimiliano)の紛争を取り仕切り、それを終わらせた。そしてこの建物はヴェネツィアの総大司教に渡された。

続いて1630年の元老院の選挙に当たり、もしサンタ・マリーア・デッラ・サルーテ(健康の聖母)がペストという罰から我々を解放してくれるなら、彼女に捧げる大きな教堂を建立いたしますとし、1631年疫病の終焉とともに、直ぐに木造の教会が建てられた。しかし崩れ落ち、元ドイツ騎士団の修道院は現在見る壮麗な神殿の建設(1631~1681)となる。やはりロンゲーナの設計で修道院脇に建てられた。ここで1742年カザノーヴァが物理を学んだことが知られている。 ……」 (41に続く)
  1. 2018/06/28(木) 04:27:36|
  2. ヴェネツィアの街
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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