FC2ブログ

イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの街案内(43): アッカデーミア橋からジュデッカ島まで

(続き)
「ニコでジェラートを味わった後は、ジェズアーティ教会脇のジェズアーティ埋立通りへ右折する。コルトが『ヴェネツィアの御伽話』の中でステーヴァニとガブリエーレ・ダンヌンツィオ率いるファシスト隊に遭遇するサンタニェーゼ広場脇を通る。アントーニオ・フォスカリーニ埋立通りを行き、ラルガ・ピザーニ通りへ左折し、その先を右へ、直ぐに左の狭いピストール通りへ入り、プリウーリの海岸通りへ抜け出ると、右へ曲がってマラヴェージェ(ヴェ語白粉花の意)橋まで行く。この名前にはここに住んでいた“マラヴェージャ”一家の記憶が刻まれている。

しかしこの橋の仇名にはお伽噺的伝説がある。その内の一つは一晩でこの橋が架設されたのだが、それは無名の人々の手によるものであったということであり、工事を始める前に近所に建設資材を運んでおいた物を使用したという用意周到さであったということである。

橋を渡り、対岸のトレッタ通りへ入る。更にその先に続く、2番目のトレッタ通りの終り近くに、小さな橋の先にオステリーア“Ai vini padovani”、“Ai Fioi”としてよく知られたレストランがある。
[Toletta(ヴェ語Toleta)とは伊語Tavoletta(小さな板)のことで、この運河沿いの通りはかつては運河に長い板を渡して橋代わりにしていたのでしょうか。“Ai fioi”は語学学校ヴェネツィア学院の生徒は学生証を提示すると割引があると言われ、何度か食事しました。書籍の割引は語学学校裏の、ヴェネツィア大学前の書店が可でしたが、このトレッタ通りの書店(下で記述あり)でも何度か本を購入しました。]

“Ai Fioi”に寄らないならば、右のチェントプレーレ通りからチェルキエーリ通りへ向かおう。そこには桶を締める輪っかの職人の工房があった。その先左にコマール小広場に通じる軒下通りがある。その隠れた一画は素晴らしい。ちょっと引き返し、小さなオステリーアの前を通り、スクエーロ(ゴンドラ造船所)運河通りを行き、スクエーロの小橋を渡り、トレッタ運河通りへ出る。

この橋の直ぐ左にトレッタ書店がある。我々の興味を引く何かについての割引本を見付けるのは造作もないことである。立ち寄ってみる価値は十分にある。もし寄り道が嫌ならば、橋を右折し、ロンバルド橋を越え、カジーノ・ヴェニエールについて以前話した個人のリドッティ(賭博等の遊興場)のあったカジーン・デイ・ノービリ(貴族の館)の軒下通りを抜ける。

こうしてサン・バルナバ広場に出る(ここは、かの有名な英雄物語の第三話で地下からやって来たIndiana Jones(日本ではインディ・ジョンズ)が抜け出してきた広場)。ここには選りすぐりの音楽レコードを置く小さな店やヴェネツィア式贅沢を味わうべく、カッフェがある。運河に沿って左へ行くと、神話的なプーニ(拳骨)橋の傍の運河に、船上、販売台に果物や野菜を並べた八百屋がある。
サン・バルナバの八百屋さん キオード(釘)橋[右、米映画『旅情』でも撮影されたカンナレージョ区のキオード(釘)橋――広場脇のサン・バルナバ運河に、『旅情』でキャサリーン・ヘップバーンが落ちたシーンは有名です。この映画は『ウエストサイド物語』を書いたアーサー・ローレンツのドラマ『The Times of the Cukoo』の映画化で、ヘップバーンは大量の予防薬を飲んで運河転落を敢行したのだそうです。ヴェネツィア本島唯一の欄干のないキオード橋等まで、ヴェネツィア名所を隈なくシーンに収めた映画で何度も見ました。その故か、ヴェネツィアは飛び込みを禁止しているのですが、後を絶ちません。7月9日のLa Nuova紙は罰金450ユーロと書いています。]

この橋の名前は、ここで行われていた古い習慣を思い起こさせる。9月からクリスマスの日まで、町の二つの地域の党派の戦いである。Castellani派(カステッロ区の住民)とNicolotti派(サン・ニコロ・デイ・メンディーコリ教区の住民、ヴェネツィアでも貧しい人々)。後者は貧しい漁民達で、死亡税なるものを制定したため、“死の司教”と呼ばれたカステッロ[大聖堂があります]の司教を14世紀暗殺した後、激しい対抗意識を燃やしていたと思われる。人民の半分の命を奪った1346年のペストによりこの聖職者が稼いだ富に怒り心頭で、彼の10番目の王国、あの世に彼を送ってしまえと考えたのであり、こうしてカステッロの住民の怒りも燃えたのだった。
アントーニオ・ストーム画『拳骨戦』ガブリエール・ベッラ画『サンタ・フォスカ橋の棒戦』[左はアントーニオ・ストーム画『拳骨橋の戦い』、右はガブリエール・ベッラ画『サンタ・フォースカ橋の棒戦』]  橋の上に登ってみると、橋の隅に大理石の4つの足型を見ることが出来る。闘いを始めるために勝負相手の位置が設定されており、欄干はなく、このためある者は、相対する両岸に蝟集した観客の笑いや嘲笑を引き起こしながら、運河に飛ぶように落下すること、しばしばである。

こうした闘いはここだけでなく、この対立する二つの地域が1年に一度、正に野戦のようにぶつかった。1705年の血塗れの闘いでは、群衆と狂乱の中で、死者さえ残された。以後この闘いは決定的に禁止された。 ……」 (44に続く)
[拳骨橋の戦いについては、2008.05.02日の拳骨橋の戦い(1)と2008.05.09日の拳骨橋の戦い(2)で触れています。その他カンナレージョ区の、ヴェネツィアの知恵袋だったパーオロ・サルピの銅像が建つサンタ・フォースカ広場に架かる同名の橋やレオーニ小広場近くのサン・ズリアーン教会裏の戦争橋(ponte de la guera)でも闘いがあったようです。]
  1. 2018/07/19(木) 02:21:21|
  2. ヴェネツィアの街
  3. | コメント:2
<<ヴェネツィアの街案内(44): アッカデーミア橋からジュデッカ島まで | ホーム | レデントーレの祭り>>

コメント

はじめまして、
イタリア好きの私は毎回楽しみに拝読しています。
ヴェネツィアには数回しか行ったことがありませんが…
この季節になると、当時小学生だった娘に早めの夏休みをとらせて家族旅行をしたことを思い出しました。

近いサン・ジョルジョ・マッジョーレ島へ渡り思い思いにスケッチをのんびり楽しんだ日々が懐かしいです。
Soprattutto Venezia が特に気に入ってます
日本語の「とりわけ」より思い入れが伝わってきますね。
今後ともよろしくお願いします。
  1. 2018/07/20(金) 08:19:05 |
  2. URL |
  3. MINA アトリエのつぶやき #-
  4. [ 編集 ]

《アトリエのつぶやき》様、
コメント有難う御座います。今後ともよろしくお願い致します。
もう10年soprattutto Veneziaについて書いています。
10年を境に止めようと思っていましたが、今や病のような
ものです。殆ど翻訳ですので、他人の褌で相撲を取っている
訳ですから自分の文章はありません。固有名詞等ヴェネツィア
式と決めていますので、他人の翻訳書等、気になること屡です。
観光の書ではないのに、ヴェネツィアを独り歩き回る人用
と思っているトンチンカンです。
  1. 2018/07/21(土) 04:20:47 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #j9tLw1Y2
  4. [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

カウンタ

カレンダー

11 | 2018/12 | 01
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

最近の記事+コメント

カテゴリー

ブログ内検索

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

このブログをリンクに追加する

過去ログ

フリーエリア