FC2ブログ

イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの街案内(44): アッカデーミア橋からジュデッカ島まで

(続き)
「この橋は渡越せず、このままゲラルディーニ運河通りを進み、通り終りでスポルカ・デ・レ・パツィエンツェ(Sporca de le Pazienze)通りへ左折する。更にその先をロンガ通り方向へ左折。この通りに小さなレストラン"La Furatola(フラートラ)"がある。
Fujiyama[ furatola(ヴェ語)は、Pizzicagnolo(ピッツィカーニョロ―惣菜屋)等の小さな店の事。このロンガ(Longa)通りで、日本の伊大使館職員を長年されていた方が帰国され、Bar と B. & B.を《富士山(ふじやま)》と言う名前で経営されています。通りに《Fujiyama》の看板が目立ち、語学校帰り時、Tea roomに何度か寄りました。日本国での《表彰状》等も店内に貼られ、1度泊めて頂いたこともあります。]

右のトゥルケッテ通りへ曲がる所まで進むと、その角にバーカロ"Da Piero"があって、内部にビリヤードの台が置かれている。その少し先にも改築されたばかりで、とても親しみの湧くバーカロ"Da Sandro"もある。そしてこの角を右折してTurchette通りを進む。ここには古くトルコ人(Turco)用の監獄としてサン・ロッコ信者会に属した収容所があった。修道女達はこうした少女達を気遣い、改宗させるための準備をし、最低でも持参金を与え、ヴェネツィア共和国という異質の文化状況に、これらの少女達が解け込むようにした。

オスマントルコとの海戦でヴェネツィア海軍に捕まったハーレムの女達は全てここにやって来た。しかしこの通り名の起源には別のより"hard"な説もある。それはトルコ人処女、特に娼婦は男に着飾らせられ、トゥルケッテ橋の袂の家で彼女達の商売に従事させられたというものである。橋を越え、ボルゴ運河通りを進む。道を進むこと半ばで、ロカンダ(安宿)“Da Montin”がある。
[語学学校の課外事業で、午後希望者には伊語聞き取りの耳の訓練のためにマルコ先生と街歩きをしながら、建物等の説明を受けました。この橋の左に建つ家についてそんなトルコ関連の話を聞きました。ヴェネツィア街歩きの楽しさを知ったことでした。
ロカンダ・モンティーン中央の赤っぽい絵が画伯の物またロカンダ・モンティーンについては、ロカンダとして営業をしているとの話を聞き、Fax して尋ねたことがありました。現在は宿の営業は止め、レストランをしているので食べに来て下さいとのことで、2度ほど食事に行きました。最初の時、壁に展示されたある絵の前に案内され、この絵を知っているかと問われ、絹谷幸二画伯の物があると聞き知っていたので、その旨答えました。2度目の時はここに日本人がよく食事に来るようになったらしく、部屋の中央に配置替えになっていました。2010.11.27日の文学に表れたヴェネツィアで画伯について触れています。画伯はアッカデーミア美術学校に留学され、ボローニャの画家ブルーノ・サエッティの元でアフレスコ画(画伯は伊語式に"affresco"と発声されます)の研究をされたとのこと。サエッティのヴェネツィアの工房はサン・ヴィダール広場に面した2864番地にあり、《太陽と希望の画家ブルーノ・サエッティ(1902~1984)はここで仕事をした。ヴェネツィア市、1981.08.31》という碑があります。画伯の絵は中央の赤っぽい絵柄の物。]

オンニッサンティ運河に出るまで運河通りを進み、そこで左折し、プラットにとって非常に懐かしい運河通りに面したフランス領事館を越えて進む。こうしてサン・トゥロヴァーゾ広場に到着、ここはある日、コルトがヴェネツィアの猫協会と口を利いた所である。教会の周りを回ってみると、教会の向こうに街でも最高に美しい、ブランドリーン館の緑の庭園がある。ファサードがサン・トゥロヴァーゾ運河に面して大学の建物となっている。

かつてこの緑のオアシスは、人々に愛された外国渡来の珍しい植物で有名で、1545年、パードヴァ大学植物園の植物育成に協力していたアントーニオ・ミキエールの所有になるものであった。右手の橋を渡る前に、1925年に作られたこの館のファサードの、ブラス家によって設えられた、非常に興味深い一連の神盃と建築的な浮彫りを見過ごさないこと。
「Cantine del Vino gia` Schiavi」ジャ・スキアーヴィ橋を渡り、バーカロ"Da schiavi"で一休みしよう。
[このバーカロ"Cantine del Vino-già Schiavi"は、NHKのヴェネツィア街歩き番組でこの近辺を通る時には必ずと言っていいほど撮影されていました。squero等、近所を歩く時は立ち寄りましょう、しかし典型的なバーカロはBarと違い、バーカロの最古参《ド・モーリ》でのようにコーヒーはありません。]

右へナーニ運河通りを進もう。ゴンドラの修復もする、素敵なスクエーロ(ゴンドラ造船所)を対岸に見る。これはこの建築・建造という世界の中で何か山野的な雰囲気を醸し出している非常に絵画的な一郭である。そしてここを通り掛かった多くの画家達によって不滅の景観となった。

ザッテレ海岸通りに戻ってくると、バールやジェラート屋がのんびりするようにと誘ってくるが、直前にある、左の停留所からジュデッカ島に向かってヴァポレットに乗船しよう。 ……」 (45に続く)
  1. 2018/07/26(木) 00:50:26|
  2. ヴェネツィアの街
  3. | コメント:0
<<ヴェネツィアの街案内(45): アッカデーミア橋からジュデッカ島まで | ホーム | ヴェネツィアの街案内(43): アッカデーミア橋からジュデッカ島まで>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

カウンタ

カレンダー

11 | 2018/12 | 01
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

最近の記事+コメント

カテゴリー

ブログ内検索

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

このブログをリンクに追加する

過去ログ

フリーエリア