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イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの街案内(45): アッカデーミア橋からジュデッカ島まで

(続き)
「ジュデッカ島に行くには、ジェズアーティ教会前の停留所から82番線のヴァポレットに乗るのだが、教会内部のティエーポロのフレスコ画を見忘れないで欲しい。
[82番線は現在はなく、ザッテレ海岸通りのZattere停留所からSan Zaccaria方面行き、或いはSpirito Santo停留所からPiazzale Roma方面行きに乗れば、次の停留所はジュデッカ島のPalanca停留所です。]

かつてこの島は、spina longa(長い棘or魚の骨)と呼ばれたが、それは長い形故であって、Zudeca[古名]からGiudeccaになったと思われる。庭園や菜園がこの長い島の一番の特徴で、ルドヴィーコ・ウーギの1729年の植物が存在する。彼はその独特の花壇の様子を正にマニアックなほど詳細に記録している。
 
庭は個人の物で立ち入りは出来ないが、かつては外国渡来の植物が花咲き、色々の植物園の情報が貰えたが、残念ながら今はない。そこでは航海者や旅人が地球の遠隔地より持ち帰った珍しい薬草や植物が栽培育成されていたのである。マドンナ・デッロルト教会傍のパトゥロール庭園(現在消滅)には、180種類の薔薇が栽培されていたという。

緑の生い茂るこの島の話に戻ると、1529年ミケランジェロはヴェネツィア式の浮華虚飾に満ちた儀式に嫌気が差して、それから逃れようとこの島に避難した(リアルト橋を石で作るプロジェクトを提案した時の事らしい)。今では無くなってしまった屋敷や邸宅は色々の尊敬さるべき貴紳を招いたのであったが、中でもダンドロの館(サン・ジョルジョ島の直前の)に到来した有名人がいる。彼は羨望という後光に包まれた"Mamugnà(マムニャ)"という名前で有名な、キプロス島の錬金術師マルコ・ブラガディーンで、銀を金に変換することが出来ると思われていた。

人々の信じ込み易い性格を嘲笑う当時の民間のソネットが残っており、この人物が町で惹き起こした驚嘆にも拘らず、結局“哀れなマムニャ”は幸せな最期を迎えることが出来ず、1年後バイエルン公の客人としてあった時、化けの皮を剥がれ、金の“魂”を取り出すこと等出来ないとされ、調査もいい加減なまま斬首された。
[下掲の書『魔法』(K.セリグマン著、平田寛訳)に、「……錬金術師たちは、物質の魂を抽出しようと苦心していた。かれらはこの抽出物を使って、鉱物にふしぎな効果をあげようと望んだ。」とあります。]

他にも信じ難い人物が、その人柄と持てる秘術でヨーロッパを魅了しながら経巡ったが、それはカリオストロと称したヴィンチェンツォ・バルサモである。彼はペッレグリーニ侯爵と自称し、1788年素晴らしい奥方と共にこの島にやって来た。この島で短期間に奇跡のような事を成し遂げ、人々の好奇心と共に検邪聖省の関心も呼び起こしてしまい、直ぐに他の島に移動した。

出入り禁制の尼僧院や文学と哲学のアカデミー等では、その心地よい庭園の木陰でヴィーナスとキューピッドの像の下に腰を下ろし、人里離れた、この一種のラグーナの桃源郷で不躾な目を逃れ、浮気を楽しみ、色事に耽る。

今では、1800年代末から1900年代初頭の産業革命後の変化で、とりわけ島はその表情を変えた。沢山あった邸宅は、放棄された建築的な工場建築やワイン倉庫の残骸の間、島の南側に長い緑地帯が保存されていたにも拘らず、崩れ落ちてしまった。ニット工場ErionやビヤホールDreher、Junghans(ヴェ語式―ユンガンス)からScalera Film撮影所(ここで“Il ladro di Venezia”やヴィスコンティの『夏の嵐(Senso)』の幾つかのシーンが撮影された)まであり、それはコンヴェルティーテ運河通りに位置するコンヴェルティーティ祈祷所の背後にあった。

そしてこのようにconvertite(回心した)と呼ばれた訳は、前非を悔いる元娼婦や罪人になった女性達を集めたためであった(現在は女性刑務所となっている)。このOratorio(祈祷所)は、最初の司祭はヴァルカモーニカから来た司祭だったが、数年後、単に保護すべきだった迷える子羊(信者)20数人を蔑ろにしたため、サン・マルコの2本の柱の間で斬首された。

ここから右へ抜け出し、数メートル進むと、英国の画家ジェフリー・ハンフリーズの住んだ家の窓の下を通る。フーゴ・プラットの友人で、彼らの共通の最初のスタディオのあった場所である。その先、鉄格子の門の背後に、古い縄工場があるが、このアメリカのキャニオン渓谷のように長々しい区域は、この島を末端まで真っ二つに断ち切っているのである。 ……」 (46へ続く)
錬金術図像大全ルネサンスの魔術思想魔法[ここで触れた錬金術等に関する書を読んでいます。興味があれば読んでみて下さい。サルーテ教会の建築者バルダッサーレ・ロンゲーナの思想の根源にはこうしたカバラ的・錬金術的(?)発想があったのでしょうか。]

イタリアのサイトに、細部を知れば興味津々のこのカリオストロについて簡単な生涯を書いたものがありましたので訳してみます。
「カリオストロ伯爵とは、パレルモで1743年6月2日生まれた稀代の詐欺師ジュゼッペ・バルサモの偽名である。父は幼少時亡くなり、家族は彼が宝石商になることを望んだが、本人はその職業が好きではなかった。それ故ファテベネフラテッリ修道院に委ねられた。そこも自分の居場所にあらずと、彼は逃げ出し、メッシーナに行った。

そこで、師となったAltotasから化学の秘密[錬金術] を学び、他国を旅することになる。マルタ島やローディ、バルカン半島を旅し、エジプトへも行ったらしい。貴族を名乗り、幸先良く、正直者から金を巻き上げた。大金を携え、イタリアへ戻り、ローマに滞在した。偽証明書で大祈祷師として更に稼いだ。降霊術等の心霊会を組織したことが原因で教皇庁から追放され、ヨーロッパを歩き回ることとなり、詐欺師としてのキャリアを積んだ。

イギリスに行き、大フリーメーソンとなったが、脱税が元でロンドンから逃亡せざるを得ず、ローマに帰った。魔術師であり錬金術師としての彼の評判は役に立たず、妻に告訴されて服役し、サンタンジェロ城の獄門に下った。何年か後、ロッカ・ディ・サン・レーオの城塞監獄に移送され、1795年8月26日発作を起こして亡くなった[この記述では彼の面白さは判りません]。」
  1. 2018/08/02(木) 12:08:59|
  2. ヴェネツィアの街
  3. | コメント:0
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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