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イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの街案内(46): アッカデーミア橋からジュデッカ島まで

(続き)
「この縄工場ではあらゆる種類の綱を作っていたが、今は個人所有となり、アクセスは出来ない。その墜先は、ロンガ・デ・ラッカデーミア・デイ・ノービリ通りで、直ぐ近くに貧乏貴族の若い子弟のための寄宿学校があった。サンテウフェーミア教会まで行くと、橋の向こうに歴史的にも有名なBarと兄弟的な店、Harry's Dolciがある。
                                  図ー5
図図ー1図ー4図ー3図ー6ここは北のフォンダメンテ・ノーヴェの海岸通りから見るラグーナ風景と異なって、もっと静かで、潟的であり、この島に滞在するように招くという事は、また全く別の感慨があるものである。この地域は外洋に近く、牽引船も前を通り、他所の島々に向かう大きな船が我々を旅に誘う。左手のMulino Stukyの赤レンガの大岸壁を見ていると、このネオゴシック建築で丸でイギリスに居るかのようである。
[2012年1月13日ジーリョ島傍で座礁横転し、死者32人の事故を起こした巨大豪華客船コスタ・コンコルディア号を思い出します。あんな巨船が狭いジュデッカ運河を通るのは恐ろしい感じで、反対運動する人の気持ちはよく判ります。《La Nuovaの紙面に度々登場します。]

リーオ・サンテウフェーミア海岸通りを行き、左折し、ロンガ・デ・ラッカデーミア・デイ・ノービリ通りと交わるサン・コーズモ広場に向かい、右へ曲がって進み、左のデントゥロ小広場へ向かうとコルティ・グランディ通りへ入る。すると17世紀の長い建築物の前に出る。見本帳に描かれたような煙突の見本が13基も建物上に見られる。
煙突この古い民家を後にして、再度運河通りへ出、右折する。ピッコロ橋を渡越し、次の橋まで進むと右手にエルベ通りがある。お腹でも空いたなら、ここに、テラスが運河に面した小さなレストラン“All'Altanella”がある。ジュデッカの友人に招かれた時、年老いたMitterand(仏国第21代大統領?)も憂き世を逃れてこのオアシスにやって来たものである。この美味処と別れ、再び運河通りに引き返そう。

ロンゴ橋を跨越し、我らが歩みを進めて行くと、クラリッセ・デッラ・サンティスィマ・トゥリニタ修道院の脇を通り、壮麗なレデントーレ教会に辿り着く。1576年の黒死病の猖獗の終焉が到来し、救世主に祈願の聖堂としてアンドレーア・パッラーディオの設計で建築が始まり、1592年に献堂されたもの。教会の食堂の骨組みには、木材とレーパントの戦いに参加した軍船の骨格が使用された。
[パッラーディオは1580年に没したため、教会完成まではリアルト橋の建造者アントーニオ・ダ・ポンテが後を引き継ぎ、完成させました。またヴィチェンツァのテアートロ・オリンピコも彼の没後は、設計図を持つ息子のスィッラにパッラーディオの弟子のヴィンチェンツォ・スカモッツィが大協力して完成させました。完成直後の開場公演はソフォクレース作『オイディプース王』で、舞台装置にテーバイの町がスカモッツィにより設置されましたが、それは評判を呼び、そのまま壊されず現代に残ったものを目にすることが出来ます。テアートロ・オリンピコについては2008.04.18日の天正遣欧使節で触れています。
コンペでスカモッツィに勝ったダ・ポンテ設計の石のリアルト橋は、現在ではヴェネツィア建築の模範とも称されていますが、コンペに敗れたスカモッツィは、こんな橋直ぐに崩れ落ちると嘯いていたそうです。]

クローチェ橋を越渡し、運河通りを進む(オステッロ・デッラ・ジョヴェントゥとレストラン“Iguana”の傍を通過)。そしてサンタ・マリーア・デッラ・プレゼンタツィオーネの修道院と教会の場所へ至る(この建物もパッラーディオの手になる)。古くは貧しい少女達のための学院として機能したため、ズィテッレ(独身女性)教会と通称し、彼女達はその仕事として取り分け刺繍に携わった。現在では、各種展覧会を挙行する文化センターであり、大きな庭園がある。

丁度教会前にサン・ジョルジョ島に行くヴァポレットの停留所がある。その島に渡るとここにはベネディクト修道会の研究センターがあったが、古くは“糸杉の島”と呼ばれ、現在でも、1950年代ジョルジョ・チーニ財団創設後、研究センターとなっている。
サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会[サン・ジョルジョ島に掛かる二重虹。サン・マルコ鐘楼から]  サン・ジョルジョ教会はパッラーディオの作品である。実際、彼の設計になる3教会、レデントーレ、ズィテッレ、サン・ジョルジョがサン・マルコ小広場から観望すると一列に並んでいる。

元修道院の寮(128mの長さ)、ロンゲーナの図書館、有名なレフェットーリオの食堂、美しいキオーストゥロの中庭、背後にある庭園、南ラグーナの静かさは我らの街歩きを完璧なものにしてくれる。またもう一つの美しいイマージュ、サン・マルコ広場の甃のレース模様を我々に共感させてくれるのである。」 (終り)
Venezia-Teatro-Verde-Fondazione-Cini[サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会鐘楼上から眺めるサン・マルコ広場がまた美しいのです。我々日本人にとってこの島が関わりを持っているのですが、それについては2009.10.31日のヴェネツィアと日本の関係で触れました。この島の奥の庭園内にあるテアートゥロ・ヴェルデの野外舞台で能楽のヨーロッパ初の公演が1954年にあったということです。]
  1. 2018/08/09(木) 00:10:41|
  2. ヴェネツィアの街
  3. | コメント:2
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コメント

こんにちは!

見事な虹ですね~ 
懐かしいサン・ジョルジョ・マジョーレ島です♪

以前のブログ拝見しました。
65年ほど前に、私の大好きだった観世栄夫さんがこの島で能を演じられたとは…驚きです。
  1. 2018/08/09(木) 09:27:50 |
  2. URL |
  3. MINA(アトリエのつぶやき) #-
  4. [ 編集 ]

MINA様、コメント有難う御座います。
地図のサン・ジョルジョ島の南、庭園中央に野外舞台はあるようですが、私も見たことはありません。この舞台の上に能舞台を組み上げれば、結構な高さの構築物となったことでしょう。こういう雰囲気での公演は、日本人なら是非体験してみたいに違いありません。
演劇ビエンナーレの時は、島の各地で色々の演劇的試みがあります。その楽しさはカーニヴァルの比ではありません。普段は入館出来ない場所で区々のパフォーマンスに立ち会えます。行事予定を手に入れれば、地域住民と一緒にコンメーディア・デッラルテ等、観劇その他に参加出来ます。
  1. 2018/08/10(金) 03:51:55 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #j9tLw1Y2
  4. [ 編集 ]

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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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