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イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

仏人画家、ウジェーヌ=ルイ・ブーダン

今までヴェネツィアを描いた仏人画家として、フェリックス・ジアン、ギュスターヴ・モロー、ポール・シニャック、クロード・モネと触れてきました。また新たに、ウジェーヌ=ルイ・ブーダン(Eugène-Louis Boudin)について触れてみます。ウィキペディアからどうぞ。
Felix Ziem《Canal a' Venise》1884ギュスターヴ・モロー画『ヴェネツィア』Le Grand Canal a` Venise黄昏、ヴェネツィア [左から、Félix Ziem画『Canal à Venise』(1884)。ギュスターヴ・モロー画『ヴニーズ(ヴェネツィア)』(1885)。ポール・シニャック画『ヴェネツィアの大運河』(1905)。クロード・モネ画『黄昏、ヴェネツィア』(1908~12)。ブログ内検索はその名前で検索欄で出来ます] 
   
「ブーダン(1824.07.12日オンフルール~1898.08.08日ドーヴィル)は、戸外で写生した最初の仏国風景画家の一人だった。彼は海洋画家であり、海上や海岸で生じるあらゆる事の描写に秀でていた。彼が手っ取り早く描いたパステル画は、ボードレールの称賛を博し、コローは“空の王者”と呼んだ。

彼は港湾パイロットの息子としてオンフルールに生を享けた。10歳の若さでオンフルールとル・アーヴル間の蒸気船で働いた。1835年一家はル・アーヴルに越し、父は文房具と額縁の店を開いた。ここで彼も働き、後には自らも開店した。こうして父は完全に船乗りと縁を切り、息子も同様だった。

彼は率直さ、順応性、気前の良さといった船乗り気質を晩年まで大いに持ち合わせていたが、以後本当の休日というものを持つことはなかった。

店にある絵は額に入っており、その地域で仕事する画家と付き合いが始まり、コンスタン・トロワヨンとジャン=フランソワ・ミレの絵を展示した。二人はジャン=バティスト・イザベとトマ・クーチュールの仲間だった。トマは当時彼が会っていた人物で、彼に画家の道を勧めた。

22歳の時、店の仕事を止め、画家の道をスタートさせ、パリへ、翌年はフランドルへ旅した。1850年奨学金を得、パリに行くことが出来るようになったが、しばしばノルマンディを描きに戻った。1855年からは定期的にイギリスに行った。

17世紀のオランダの画家達が彼に強い影響を与えたが、彼は既にフランスの芸術家グループに注目されていた。オランダの画家Johan Jongkindに会った時、彼は戸外で描くようにアドヴァイスされた。彼はトロワヨンやイザベとも仕事をしたが、1859年にはギュスターヴ・クールベと出会い、シャルル・ボードレールに紹介された。ボードレールは彼の才能を観衆の前に知らしめた最初の批評家であり、この時1859年、画家としてパリ・サロンへのデビューとなった。

1857~58年、彼は僅か18歳の若いクロード・モネと知り合った。モネに若さ故の諷刺画等止めて、水上の輝くような色相や光の戯れに対する愛を教えようとし、風景画家になるよう勧めた。それが後年モネの印象派的画法になるのは明白である。二人の友情関係は生涯続き、モネは後々までブーダンの若き日の教え(影響)薫陶に尊敬の念を払い続けた。彼はモネと彼の若い仲間達を最初の1873年の印象派展に合流させたが、自分は急進的な革新者等とは思っていなかった。
eugene-boudin[サイトから借用]  彼の評判が上がるにつれ、1870年代彼は幅広く旅行が出来るようになった。ベルギー、オランダ、南フランス、そして1892~95年定期的にヴニーズ(ヴェネツィア)に行った。彼はパリ・サロンに出品し続けた。1881年の国際展では金賞を受賞した。彼の同時代芸術への才能と貢献したとして認められるには、少々遅かりしだったが、1882年レジオン・ドゥヌールの騎士章を受けた。

晩年健康状態不良に付き、引退場所として南フランスに帰ってきた。そして与えられていた救援資金が底をついていることが判り、ドーヴィルの自宅に帰った。そして海峡の光景と幾度となく描いた空とその海峡の下、没した。」
  1. 2018/08/23(木) 01:15:32|
  2. | コメント:0
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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