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イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの現在: リアルトの魚市場

ヴェネツィアに行く度に、必ず顔を覗かせる場所の一つにリアルトの魚市場と野菜市場があります。初めて語学学校に手続し、アパートを借りて、食品の調達に通った市場です。語学学校のあるサンタ・マルゲリータ広場にも野菜や魚の屋台が並び、利用した事はあります。カンナレージョのトゥレ・アルキ橋傍にアパートを借りた時も、サン・レオナルド埋立通りに出店する沢山の屋台店を通り越し、サンタ・ソフィーア広場からトゥラゲート(tragheto)の渡し(当時0.5ユーロ)に乗って対岸のペスカリーアまで通いました。何しろ初ヴェネツィア行の時、知り合った当時中学生だったジャンニが魚屋さんで働いているからです。今や彼も小父さんです。

ある日友達になったファビアーナがジャンニの魚屋で、それもジャンニの前で魚を買っていました。ジャンニと知り合いである事に驚いていましたが、パードヴァの友人に魚を買ってくれるよう頼まれたとメモを見せられました。肉食の彼女は魚を買ったことがないらしく、お金が足りなくなったと言って、近くに事務所を持つご亭主に電話していました。ヴェネツィアでも珍しく生食(pescecrudo)する《海のトリュフ》、ヴェネツィア語でカパロッソロ(caparossolo/caparozzolo=伊語cappa verrucosa、まるすだれ貝科アラヌノメ貝。大変高価です)を煮て食するというヴェネツィア人もいるように、全ヴェネツィア人も魚に詳しい訳ではありません。そんなペスカリーアについて数日前La Nuova紙が語っていました。

「 ヴェネツィアの魚市場、危機。《我々を援助して呉れなければ、我々としてはどうしようもない》
――リアルト。かつて屋台が18ヶあったのが、現在、半分。2台が備品込みで4万ユーロで売出し中――

フズィーナへの移転にNOを表明するため、2011年に出来たペスケリーア(魚市場)[ヴェ語ペスカリーアPescaria]の吹き流しの旗が盗まれた。深夜何者かが聖マルコの書の中に書かれた、それにぴったりの訓戒を破ってしまったのだ。《Rialto no se toca》。その場所には、我々を苦しめてくる前兆が残った。それは魚市場が少しずつではあるが、後には何も残らない、ということである。

不動産屋が店頭に貼り出した広告は、危機的状況を裏付けるものだろう。《著名なリアルトの魚市場の屋台2台売りたし。用具一式込みで4万ユーロ》。1台が2万ユーロだが、屋台を売ろうとして最後には譲ってしまったことを声高に言う人には1万ユーロだと。
Pescaria[魚市場、1980年代の賑い]  15年前、1台が10万から15万したことを考慮すれば、最低の値段である。ヴェネツィア人で溢れ返る1980年代の写真と比較すれば、それは警告である。今日では人間よりも鷗のお客さんの方が多い状況で、18台あった屋台が今や2分の1である。

町は人口や歴史的店舗や工房の減少状況に遭遇しているが、魚市場は閉鎖という事態に追い込まれるのだろうか? ……」
  1. 2018/08/20(月) 00:04:42|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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