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イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

サン・マルコ広場の井戸

現在、サン・マルコ広場には井戸がありませんが、かつて存在したようです。以前、《ヴェネツィアの地震》や《ヴェネツィアの火事》また《ラグーナの氷結》等のブログで触れた、G. Nissati著『ヴェネツィア奇聞(Aneddoti storici veneziani)』(Filippi Editore Venezia、初版1897)がサン・マルコ広場の井戸について書いていますので、紹介してみます。
『ヴェネツィア奇聞』「我々の長老達は社会的な慣例として威厳を以って、というよりは寧ろ気軽に物事を見守ってきた、という事の中で、各世紀に渡って、サン・マルコ広場に種々の井戸を設置してきた。メルチェリーア(Marzaria)通り入口に設置された半月型の口の井戸については、1283年の通達が語っている。1361年の記録は、当時この広場に1ヶ以上の井戸が存在したことを語っている。
正面、時計塔[カナレット画『La Piazzetta verso la Torre dell'orologio』(1730)。正面の“時計の塔”の大門がリアルト橋に向かうメルチェリーア通り入口になりますので、その辺りに1ヶ井戸があったのでしょうか。]  1445年、シニョリーア政庁は通達を発した。広場の高みに美味しい水の、大きな井戸を根底の基礎から作るように、と。サン・マルコ広場に掘られた2ヶの井戸については(多分当時は簡単に修復されたと思われる)、マリピエーロとマーニョが井戸ニュースに限って同じ日付を記しているが、マリーン・サヌード(Marino Sanuto)が1494年に詳しく語っている。

次の世紀には、サン・ジェミニアーノ教会前の広場の井戸について等何も語られていない。1548年には、水が悪臭を放つようになり、飲用不可となっただけでなく、《ma è la causa di far pestifero l'aere con mosoni.(蚊だらけの空気を伝染させる原因)》ともなる程、破壊されてしまったことが判る。

更に1588年には、再びクリーン・アップされたが、《tutto ripieno d'imondite fino alla cima che rendono fetore.(下から上まで悪臭プンプンたる汚物の山)》となったがため、1620年にはまた、その工事を執行しなければならなかった。それ以後、他所の広場の井戸同様、壊れていき、語られることもなくなった。
サン・ジェミニアーノ教会[カナレット画『Piazza S. Marco dalla basilica verso la chiesa di S. Geminiano e le Procuratie nuove』(1735~1740)。この教会前辺りに1ヶあったのでしょうか。]  サン・マルコ広場にあった2つの井戸、特に今上で軽く触れた最後の井戸については、近年、広場の甃を敷き直した折、その痕跡が見付かった。」
  1. 2018/08/30(木) 00:04:17|
  2. ヴェネツィアの広場
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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