FC2ブログ

イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの夜間の徘徊

G. ニッサーティの『ヴェネツィア奇聞』に、夜間ヴェネツィアで街灯の無かった当時、街歩きはどのようであったか記述があります。

「昔ヴェネツィアは、夜は漆黒の闇に閉ざされていた。暗闇には[街の角々にあるマリア様等の小さな祭壇の]聖像の前に吊るされた微光(龕燈)が唯一の明かりであり、それはcesendelo(チェゼンデーロ―小さな明かり)と呼ばれた。
『ヴェネツィア奇聞』コーデガの道案内闇の中で何が起きるか不明の状態を明白にするために、1450年政庁は通達を出した、夜になって3時間後に街を歩きたい人は皆、明かりを用意しなければならない、と。そして貴族や裕福な人々は召使いに前を歩かせ、蠟燭や2枝燭台、あるいはカンテラ(洋灯)を持たせるようにまでなった。

そのような風習の記憶が、いわゆるcodeghe[コーデゲ(男性複数)、道案内人の意]として我々に近い近年まで残されている。即ちある種のポーターの事で、我が家まで送ってもらいたい人へのサービス業として、火を灯したランタンを持ち、雨が降りそうであれば傘を持ち、サン・マルコ広場の行政館(Procuratie)のカッフェ近くか他の人の出入りの激しい場所で夜間待ち受けている。
[codega(コーデガ、男性単数)―希語のOdegos(案内人)から来たものと思われる。カンテラを持ち、夜その人の家まで付き添う、サン・マルコ広場の道案内人を言う。サン・マルコ広場の提灯持ち(Feralante)の事。――ヴェネツィア語辞典より]

ある人が希語のodegos(ガイド)に由来する言葉とする、コーデガという職種の考案は、ピエートゥロ・q.・オズヴァルド・ダル・カーポのお蔭だと、グラデニーゴは記している。」

図版に添えられた伊語は次のようです。
「De notte ora ai teatri, ora al Redutto / Son quel che col feral serve de lume; / E pur che i paga mi so andar per tutto. 」

総督ドメーニコ・ミキエール(1118~1130)政権下の1128年初頭から、建物の壁面に一晩中灯す目的で、更に遠方からでも通行人が識別出来、勇気付けられるようにと、微光ながら燈明が出現し始めたようです。当時の要望に応えた事ではあったのですが、要求の中身に全的に対応した内容という事からは程遠い通達だったようです。そこで年表から1128年の項を見てみましょう。
1100~1399「市民の安全性を確保するために、当時の世相の風潮にケリを付けることが決定された。即ち、ギリシア風の付け髭を付けることの禁止(晒し首の刑)、更に夜陰に乗じる危険行為から人を守るために、共和国の公費で壁面に吊り下げた、小さな油の燈明―cesendeli(チェゼンデーリ)で、安全性が希薄と思われる通りに明かりを設置する、その明かりの保全は教区司祭に委ねられる。教区司祭には、悪党共を意気阻喪させるために、奉納の小祭壇や祠の聖像の前にcesendeliを置くように求めている。
[ここで使われているcapitelli(柱頭、複数=ヴェ語capiteli)とは、ヴェネツィア語では“祠”の意です。]

この種の明かりでは殺人、暴力行為、強奪等類似行為にブレーキを掛ける効力は充分ではなく、ヴェネツィアの町をコントロールするFante(Famulo di Curia―法務局の人員)の員数を増加させる事を決定することになる。」

ヴェネツィアの街歩きをすると、通りの角や折れ曲がった箇所に、歩く目線の行く先に聖女様等を祀る小祭壇が目に付くものです。その数だけでもヴェネツィア人が非常なる篤信家であったことが判ろうというものです。ナポレオンがこの地を占領した時、宗教施設の多さに驚き、相当数の教会や同信会館等を潰させたと言います[ナポレオンは1806年、Scuola(同信会)の活動を禁じています]。そのために絵画作品が四散することになりましたが、潰されたサン・マルコ広場のサン・ジェミニアーノ教会といい、残念な事でした。
  1. 2018/09/20(木) 09:53:06|
  2. ヴェネツィアの民俗
  3. | コメント:0
<<美術館での服装 | ホーム | サン・ジャコメート教会の時計>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

カウンタ

カレンダー

11 | 2018/12 | 01
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

最近の記事+コメント

カテゴリー

ブログ内検索

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

このブログをリンクに追加する

過去ログ

フリーエリア