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イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアのチチズベーオ(2)

《ヴェーネトの歴史と芸術》というブログがヴェネツィア地方のチチズベーオについて語っています。

「チチズベーオ(cicisbeo)という言葉を発すると、今日否定的な人物像を想像する。事実この人物は、ヴェネツィアでは特に1600~1700年代重要な役目を帯びていた。cavaliere servente(奉仕する騎士)という言葉は仏人が言い出したのだが、戸外へ貴夫人に付き添ったりする、丁度うまく家族に選出された紳士の事なのである。
グァルディの絵画?[イタリアのサイトから借用。この絵は恐らくPietro Ronghiの数ある家族の肖像画の一つでしょう? ロンギとガブリエル・ベッラの絵を見る度に、一番興味のある1700年代ヴェネツィアの習俗を目の当たりにする思いです。] 
チチズベーオは貴族の息子で、通常は長男ではない家系(一般に長男が遺産を継ぐので、彼には経済的資力がない)で、社会と交際し、経済的手段なしでも、身の安定を図る機会を持とうとした。チチズベーオは家族や同じ家計程度の友人達の中から選ばれ、結婚契約書の中に名前が記された。

役目は朝早くから、貴夫人に付き添い、一日中近侍した。食卓では脇に座り、夫人のために肉を切り、好きな料理を取り分けて差し上げた。更にお遊びのテーブルに同伴した。彼には最も公式の役があった。貴夫人に対する“奉仕”の関係は有名だが、夫や家族との間も良好で、結局、貴族主人が自分の力を弁え、発展させる縁であり、知人網を広げていく力となる、それ以上に、夫人に対して敬いの態度を示して、支えとなっているということであった。

この風習は貴族だけのもので、稀に上流ブルジョワの例もあった。その場合は彼は日曜日のみ奉仕に出かけた。
……
記述がないにも拘らず、筆者にはこの役柄の人物は正にヴェネツィアが生み出したと思われるのである。17~18世紀のイタリアを概観すると、女性にとって本当に自由な環境がセレニッスィマ共和国には確かにあった。リーミニ司教区カマルドーリのアウグスティヌス修道会隠修士テオーフィロ・クリーニは、チチズベーオの事を否定的に語っている。チチズベーオを上流社会のあまりなる堕落と考え、教会はこうした社会政治的人物のためにあるものでは決してないのだ、と。
ゴルドーニの挿絵[ゴルドーニの戯曲の挿絵、サイトから借用]  チチズベーオはヴェネツィア生まれであるという別の証言としては、数多くのカルロ・ゴルドーニの作品がある。そこでは作家の喜劇の中心人物の中の一人であり、役を演じている。作家はこの状況の最も喜劇的側面を浮き彫りにしているのである。しかしその事は、謹厳実直なモラリストや、この風習に大いに戸惑いを覚えた、特に外国人達の非難の矢の的となっている、この風習についての知識を高める、更なる要素なのである。 …… 」

ヴェネツィアでの実例は、2013.03.09日のモーロ=リーン館でご覧下さい。
  1. 2018/10/11(木) 02:44:24|
  2. ヴェネツィアの民俗
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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