FC2ブログ

イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの修道女の放蕩

G. ニッサーティ著『ヴェネツィア奇聞』(Filippi Editore Venezia、2009)に、チチズベーオに関連して修道女の放蕩三昧が書かれています。
『ヴェネツィア奇聞』「修道女の放蕩というのは、その始まりの時から僧院に出入り禁止ということがなかったのだが、それは大変な事で、聖域に引き入れたい人を誰でも歓迎出来たのである。時には体の調子が非常に悪いという口実で、家族の元に何週間も帰る許可を得ていた。しかし帰宅する代わりに、近くの本土側へ愛人と行楽に行ったのである。

マリーン・サヌードが語っているのは、1509年チェレースティアの修道女達が、ファイフ(リコーダー)とラッパの奏でる音楽で一晩中一緒に踊った貴族の青年達の一団を大変褒めそやしていたという話である。そしてヴェネツィアの悪い風習が外部にも広がっていった。という事で、マリーノ・サヌート(Malin Sanudo)を読んでみよう:
《A di 6(Maggio 1519) la matina vene in col. il R. D. no Hieronimo di Porzia e. po di Torzelo, qual con li cai ebbe un'audientia in materia di monasteri di le contrade che sono postriboli.》
Francesco Guardiフランチェスコ・グァルディ[右、Francesco Guardi画『Il parlatorio delle monache a San Zaccaria(サン・ザッカリーア修道院の尼僧達の面会室)』  出入り禁止令が出ても、スキャンダルは絶えなかった。悪賢い女衒役の手で、うっとりするような目的を達成出来たのである。文献に見えるのは、彼女達の個室に隠れていて見付かった男の事、面会室に楽しみで赴くのに仮面を付けた尼僧の事、青年達がそこで催した宴会の事、その時格子窓の傍に座り、若者が格子から差し入れたストローでワイン・グラスから飲めるよう、そこに参加するのである。

ある尼僧達は、マリーア・デ・リーヴァ修道女のように自分達のdrudo(=cavalier servente)と変装して夜間外出し、色々のパーティに出掛けるということを勝手にやっていたのである。それは全て刑事裁判で見付かった。

上述の事以外にも、色々の作家が、修道女の俗服の事、正しい規律の欠如、そして近年にも(この本の初版は1897年)、全てとは言わないまでも、少なくともこの町の幾つかの修道院には無秩序があるということを嘆いている。 」
  1. 2018/10/25(木) 00:35:17|
  2. ヴェネツィアの民俗
  3. | コメント:0
<<ヴェネツィアのマラソン | ホーム | ヴェネツィアのチチズベーオ(3)>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

カウンタ

カレンダー

11 | 2018/12 | 01
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

最近の記事+コメント

カテゴリー

ブログ内検索

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

このブログをリンクに追加する

過去ログ

フリーエリア