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イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ロベルト・トゥラモンティーン、ゴンドラ製造家、逝去

11月08日のLa Nuova紙はドルソドゥーロ区サン・トゥロヴァーゾ運河に面したスクェーロ(ゴンドラ造船所)のマエーストロ、ゴンドラ製造家(squerariol)のロベルト・トゥラモンティーンさんが7日亡くなったことを伝えています。
ジャ・スキアーヴィ「 さようなら、ロベルト・トゥラモンティーン
――ゴンドラ製造家(squerariòl)は63歳だった。長患いの後、病院で亡くなった。彼の作ったゴンドラは、フェッラーリの作る車のようだと考えられている――

ロベルト・トゥラモンティーンが亡くなった(11.07)。このゴンドラ製造家はヴェネツィアでは知らない人はいない船大工(maestro d'ascia)だった。享年63歳、長患いの後、病院で亡くなった。彼はドルソドゥーロのオンニサンティのスクェーロ(ゴンドラ製造所)で、トゥラモンティーン家の4代目の船大工であった。

トゥラモンティーン・ゴンドラ製造所は、ドメーニコ・トゥラモンティーンによって、1884年に設立された。彼はヴェネツィアでかつてなかったと考えられるスクェーロ職人芸を体得した。即ち"Casal ai Servi"である。

ロベルトは船の外板作りの"a fasciame"という伝統的なゴンドラ製法の唯一の人であった。海水に接する合板は船底に使用するだけだった。1年で1艘、多くて2艘しか作らなかった。しかし彼の作る舟は世界に二つとないものであった。人々はそう考えた。フェッラーリ社の車に例えられた。それほど舟のラインはエレガントだった。

トゥラモンティーンが自分の“フェッラーリ”に使用した木材は8種類、樫、樅、桜、楡、マホガニー、胡桃、唐松、科の木で、彼が瓦と梁の古い屋根の下で何年も熟成させた木材で、イタリア全土から探し求めたものである。ゴンドラの平板を8mという正確な寸法に裁断してくれる製材所がますます減って、仕事が難しくなった。今や2mの長さの切断である。

この仕事を始めた時について彼は言う。《私が父Nedisの後を継いだ時、スクェーロについてのガイドは僅少というより無かったから、人々はゴンドラは自然に生まれてくるなんて思ってたでしょうね。皆、私が父と仕事していることは知っていましたが、船を実現出来るのは唯一父だけと思っていました。私の最初のお客様の事は能く覚えています。鉄道駅の前で漕いでいたゴンドリエーレです。その人の視野が狭かったのでしょう、そのため敢えて私の所に来たんです。一度作ったゴンドラが気に入られて、それで他の人もやって来るようになりました。》

スクェーロは彼の人生だった。彼は何度となく言っている。“ヴェネツィアでは、木の新しい舟が水に浮かんだ時、お祭り(festa)をする必要があります。息子の誕生のようなものです”。一人の偉大なるマエーストロが行ってしまうのだ。 」
墓地地図北のカドーレからやって来たトゥラモンティーナ家はヴェネツィアにやって来ると、一家の名前をヴェネツィア風に語尾の"a"を省略して“トゥラモンティーン”とし、船大工の修行をしたドメーニコが1884年2月2日に自分の会社を作ったそうです。図のように一家の墓はサン・ミケーレ島にあります。
アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ『ゴンドラの文化史』またゴンドラやこのスクェーロのトゥラモンティーン家、ゴンドリエーレ等、ゴンドラに関するあらゆる事について答えてくれる本が訳されています。著者はヴェネツィア出身のアレッサンドロ・マルツォ・マーニョで、『ゴンドラの文化史』(和栗珠里訳、白水社、二〇一〇年八月三〇日)です。著者の著作には他に『そのとき、本が生まれた』(清水由貴子訳、柏書房、2013年4月8日)というヴェネツィアで書籍が発達進化した模様を書いた本も訳されています。
マーリオ・リゴーニ・ステルン『野生の樹木園』ヴェーネト州アジアーゴに居住していた作家、故マーリオ・リゴーニ・ステルン(1921~2008)のエッセー『野生の樹木園』(志村啓子訳、みすず書房、2007.06.08)の《ブナ》の章に、
「ことのほか木目が細かく、まっすぐに伸びた幹は、根に近い部分を残しておき、木目に沿って真っぷたつに割ってから、納屋の下に紐で吊して乾燥させた。 こうした木片からはあらゆる道具の柄が作り出された。斧、杖、槌、鶴嘴、鑿。ブナの材はほかのどんな木材よりも人の手に馴染むからで、ヴェネツィア人はそのことを知り抜いていたのだろう、船の櫂にする木を伐る目的で、賢明にもブナの森を育て、保護していた。」 とあります。
  1. 2018/11/10(土) 00:18:01|
  2. | コメント:0
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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