イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

サン・ルーカ(あるいはサン・サルヴァトーレ)劇場(2)

[ヴェンドラミーン家によって建てられたこの劇場は、当初ヴェンドラミーン劇場またはサン・サルヴァドール(伊語S.Salvatore)劇場と呼ばれ、18世紀後半にはサン・ルーカ劇場と称された、とする資料もありました。現在はゴルドーニ劇場。]

18世紀半ばには、劇場支配人はこの劇場を特に演劇用の劇場に専門化して、1753~62年にはカルロ・ゴルドーニの傑作喜劇のいくつかを上演しました。その中には『Il Campiello(小広場)』『I Rusteghi(田舎者達――Rusteghi(ルーステギ)=伊語Rustici)』『Le Baruffe chiozotte(キオッジャのいざこざ――chiozotto=伊語chioggiotto)』『Sior Todaro Brontolon(テオドーロ・ブロントローン氏――Todaro=伊語Teodoro)』『Una delle ultime sere di Carnovale(謝肉祭の最後の一夜)』等があります。

1760年にはバルダッサーレ・ガルッピのオペラ『シリアのハドリアヌス帝』が大成功を収めました。ガルッピと協働の多かったゴルドーニは次のように書いているそうです。「そのシンフォニーアを聴くだけで心が雀躍するのを覚える。生活の中で音楽を楽しめば、感謝と勇気に満たされる」と。

1761年には劇場は全面的に建て替えられ、現在のゴルドーニ劇場と同じ位置に玄関が変えられました。現在の劇場前の、劇場あるいは喜劇通り(Calle del Teatro o de la Comedia)はその当時は大変狭かったので、入口は劇場小広場(Corte del Teatro)に向いていたのだそうです。

1818年11月14日ガエターノ・ドニゼッティは『ブルゴーニュのアンリ』と『狂気』でヴェネツィアに初登場します。
1826年ヴェネツィアの劇場では初めて、劇場にガス灯が採用になりました。
1833年にアポッロ劇場と名称を変えます。

1834年、19世紀の偉大な女性歌手の一人ジュディッタ・パースタがヴィンチェンツォ・ヴェッリーニのオペラ『ノルマ』で記録的な大当たりを取りました(初演したノルマ役は彼女の喉には難しく、《清らかな女神よ》を1音下げてヘ長調にするよう求め、以来そのままになっているのだそうです)。

1837年2月18日ドニゼッティの『Pia de' Tolomei(ピーア・デ・トロメーイ)』(『神曲』煉獄篇第五歌の中でダンテによって歌われた彼女について、その「後註」は述べています。「シエーナの貴族トロメーイ家出身の彼女は、最初バルド・デ・トロメーイに嫁したが、夫の死後ネッロ・デ・パンノッキエスキと再婚した。新夫はアルドブランデスキ伯爵の未亡人マルゲリータと結婚するため、彼女を屠ったとも、彼女自身マレンマ城上から身を投じた、とも言われている」そうです)が初演されました。

1840年著名なバレリーナ、ファンニ・チェッリートが登場します。

1847年のジュゼッペ・ヴェルディの『アルズィーラ(ヴォルテール作『Alzire』による)』(1846年ナーポリ初演)が完全な失敗の下に幕を閉じます(彼のオペラの中で最も不評だったものと言われているようです)。

1853年劇場はフェッラーリ・ブラーヴォの手で新ゴシック様式で修復されました(1979年現在のゴルドーニ劇場として再建された時、その装飾等は正確に再現されたと言われています)。

1875年劇場名が変わり、現在の呼称となりました。音楽劇としてのオペラは数が減り、オペレッタやヴォードヴィルの上演が増えたそうです。

1902年エレオノーラ・ドゥーゼが恋人ガブリエーレ・ダンヌンツィオの『フランチェスカ・ダ・リーミニ』(1901)を演じました。
アーゾロ博物館のエレオノーラ・ドゥーゼの部屋エレオノーラ・ドゥーゼの肖像左、アーゾロ博物館のエレオノーラ・ドゥーゼの部屋。右、フランツ・フォン・レンバハ画『エレオノーラ・ドゥーゼの肖像』
1909年ファサードが付け足され、その様式が雑然として曖昧だったため、鉄道駅舎だと陰口を叩かれます。
1922年エレオノーラ・ドゥーゼが『海の夫人(La donna del mare)』(ヘンリック・イプセン作)を演じました。

1932年9月6日アルフレード・カゼッラがアンジェロ・ポリツィアーノ(1454~94)の『オルフェウス物語』を元に作曲した同名のオペラを初演しました。

1937年ダリウス・ミヨーの管絃楽曲『プロヴァンス組曲』とイーゴリ・ストラヴィーンスキーのバレエ曲『カルタ遊び』の初演が行われました。

1947年劇場は使用不能として閉鎖されましたが、1979年ヴィットーリオ・モルプルゴによって徹底した修復の後、カルロ・ゴルドーニの『旅館の女主人』で再開場を果たしました。初建設の地に現存する劇場としてはヴェネツィア最古の劇場だそうです。
ゴルドーニ像リアルト橋をサン・マルコ側に降りてくると、直ぐにサン・バルトロメーオ広場(Cp.S.Bartolomeo)に出ます。広場中央にはアントーニオ・ダル・ゾット作のカルロ・ゴルドーニの銅像があります。彼の視線を追って行くと、真っ直ぐにいくつかの通りを経て、彼の名を冠したこの劇場に辿り着きます(写真=イタリアのサイトから借用)。
  1. 2009/01/17(土) 00:01:21|
  2. ヴェネツィアの劇場
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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