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イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアのカーニヴァル(1)

例年の如くまた、ヴェネツィアのカーニヴァルの時季が近付いて来ました。来年のこの移動祝祭日は2月23日~3月5日(martedì grasso)だそうです。現代のカーニヴァルはTVやPC等、色々な媒体で紹介されます。昔はどうであったか、英語のWikipediaの項目や日本語翻訳機能もあります。例によって伊語の下手な翻訳練習(誤訳の場合、通報頂ければ幸甚です)で、イタリアの《Carnevale di Venezia》から紹介してみます。
tre mascheretre travestimenti「ヴェネツィアのカーニヴァルは、ヴェーネトの州都で毎年のように行われる町の祝祭行事である。世界各地の謝肉祭の中でも能く知られ、高評判の移動祝祭日である。その始まりは非常に古い。最初の記録は1094年の総督ヴィターレ・ファリエール時の記述に遡る。その中で民衆の喜びが語られ、カーニヴァル(Carnevale)という言葉が初めてそこに引用されたのだった。

寡頭政治時代のヴェネツィアでカーニヴァルの導入はセレニッスィマも普通にそれを必要としたことにもよるが、人民に、特に最も下層階級に楽しみや祝い事にすっかりのめり込むことの出来る期間を許すことが古代ローマで既に行われていたのと同様に、その期間ヴェネツィア人も外国人も音楽や踊りに羽目を外して、お祭り騒ぎをするために町中に繰り出した。

仮面を付けることと衣装を着けることで、その人の匿名性が保証され、社会的不満が均等化され、当局や貴族階級が隠し立てもしない嘲り行為まで正当化されるようになった。そうした各種の容認が社会全般で大目に見られ、ヴェネツィア共和国内で不可避的に生じる緊張感や不和等の、思いもよらない捌け口と考えられ、一般倫理と市民としての公共の秩序のような問題に厳しく歯止めを掛けるものだった。

《古い時代のカーニヴァル》
ヴェネツィアのカーニヴァルを民衆の祝祭と宣言した最初の公式記録は、ヴェネツィア元老院が四旬節前の日を祝祭と表明した1296年の法令である。この期間、そして続く数世紀、カーニヴァルは時にその行事が10月1日に始められるようなことがあったにせよ、12月26日から灰の水曜日までの7週間続いた。

《仮面と衣装》
仮面と衣装を着けた市民は、自分のアイデンティティを完全に隠し、階級、性、宗教といった自分の個人性をこうしたやり方で無にしてしまうことが出来る。各人は新しい衣装と変装した姿を基本に、態度や行動を決定することが出来る。このため、この新顔達が擦れ違う時に発する挨拶はいつも極簡単に、“Buongiorno signora maschera !”である。

身分を隠して集団でこうした変装をしての楽しい社会参加は、かつてそうであったように現在でもカーニヴァルの本質である。それは日常の習慣や自分についてのあらゆる偏見や批難陰口から解放され、あっけらかんとした期間だった。人々は皆、大きな仮面舞台に出場した訳である。そこでは演じる者も見る者も、色々な色で飾られた姿形のユニークな一大行列の中に溶け込んでいた。 ……」 (2に続く)
  1. 2018/12/06(木) 09:46:25|
  2. ヴェネツィアの行事
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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