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イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

カルロ・ゴッズィ(1)について

荒川静香さんがトリーノの冬のオリンピックで金メダルを獲得されたのは、プッチーニの『トゥランドット(Turandot)』の曲で踊られたスケーティングでした。プッチーニのこの曲は、彼の最後の作曲で未完に終わったものではありますが、美しい名曲ですね。

私は伊文化会館の伊語のデッサルド先生の音楽教室を受講した時、オペラは誰が好きですか?と問われ、プッチーニと答えたのですが、後で若い女生徒さんにプッチーニのような歌謡曲ばかり聴いていてはだめですよ、ベルクとかシェーベルクとか硬派のものも聞いて下さいと諭されました。以来プッチーニが気になっています、まだ彼の生地ルッカを訪れたことがないのです。

この曲は彼の手になるものか、あるいは彼の死後補筆したフランコ・アルファーノの手になるものか、私には判りませんが、『ラ・ボエーム』は仏国の、『トゥランドット』は中国の、『西部の娘』は米国の、『蝶々夫人』は日本の物語と、世界各地を題材にしているところがプッチーニのとてもユニークな処と思われます。

この本の原作は、ヴェネツィアの作家カルロ・ゴッズィ(Carlo Gozzi―1720.12.13ヴェネツィア~1806.04.04ヴェネツィア)の演劇作品『トゥランドット(Turandot)』を基にしています。(多分ローマで学ばれた)学者さん達は、Gozziをゴッツィと訳されていますが、ヴェネツィアでは“ゴッズィ”と発声されている筈です。例えばモンテプルチャーノではGozzano(ゴッツァーノ)でも、ピエモンテではGozzano(“ゴッザーノ”)と濁った音ですし、特にヴェネツィア共和国の言葉はウンベルト・エーコが言っているように、方言ではなくヴェネツィアの国語であったとすれば、共和国時代の“ゴッズィ”はますますそうです。Zorzi(ゾルズィ)とか、その手の名は多いようです。
私が初めて伊語会話を教わった先生フィカーラさんの町レッジョ・ディ・カラーブリアでは“マンツォーニ”通りがあると言っていました。ミラーノではマンゾーニであっても、土地に行ったら土地に従うものでしょう(Quando a Roma vai, fa' come vedrai.)。ですから私のVeneziaも、Venesia、Venaxiaとかにすべきだと思っているのですが。
[エーコの言葉については、2011.12.24日のバーカロで触れました。]

『トゥランドット』は、上記のようにヴェネツィアのコンメーディア・デッラルテの作家、カルロ・ゴッズィの原作です。同じ伊人作曲家フェッルッチョ・ブゾーニもプッチーニの前(1917)、この作品をオペラに作曲しているそうです。私がヴェネツィアの語学学校通学時、ストゥーア小広場にアパートを借りた時、傍のゴッズィ館の一階がパン屋さんになり、毎早朝パンを買いに行きました。そんな訳でゴッズィには大変興味があります。仏人青年がゴッズィの館を知らないかとこの日本人に訊いてきたこともあります。いそいそと案内しました。
ゴッズィの家右、ゴッズィ館[左、パン屋さんが開店。右、サンタ・マリーア・マーテル・ドーミニ広場から見たゴッズィ館(正面右)]  今までゴッズィについては何度か極軽く触れてきましたが、ここで今までの記述を簡単に纏めてみますと――『三つのオレンジへの恋』(1761)=S.S. プロコーフィエフ、『鴉』(1762)=A.J. ロンベルク、とJ.P.E. ハルトマン、『鹿の王』(1762)=H.W. ヘンツェ(1956)、『蛇女』(1763)=F.H. ヒンメル(空気の精1806)とR. ヴァーグナー(妖精1834)、A. カゼッラ、『トゥランドット』(1762)=ブルーメンレーダー、C.G. ライシガー、ホーヴェン、レーヴェンスキオルド、A. バッズィーニ、オーケルベリ、F.B. ブゾーニ、G. プッチーニ(1926未完)、ザーベル、『幸運な乞食達』(1764)=J.A. ベンダ、ツムシュテーク、ダントワーヌ――とカルロ・ゴッズィの書いた戯曲がオペラ作品にされているそうです。

彼と同時代の劇作家、カルロ・ゴルドーニが演劇の改革として新しい劇を発表し、当時の知識人、ガースパロ・ゴッズィ(カルロの兄、ヴェネツィアの新聞《Gazzetta veneta》等の初の創刊者)にはその革新性を認められながら、弟のカルロの目指すコンメーディアとは異なってカルロと論争になり、結局ゴルドーニはパリに去りました。ゴルドーニのパリでの最期については、2009.10.10日のゴルドーニ(3)で触れました。
Gozzi次回からそのカルロ・ゴッズィの生涯を、Carlo Gozzi著『Fiabe teatrali』(Garzanti、1994)で辿ってみます。

最後に、上で触れました伊語の表記の問題で伊語に関心のある方に、語学校ではあまり触れない事を:  ①は正書法と発音の本、②は姓名事典、③は名前辞典、④は道路地図(これは地名についての一例です)。①はアクセントを含めて伊語の発音を教えて呉れます。希臘語起源の固有名等教えられます。②③はその題名通りです。人によりますが、伊語の先生方で固有名を判っているとしてわざわざ調べないで文字にする人がいるのではないかと推察します。私の先生もその一人でした。また伊語は常に最後から二音節目にアクセントありとする表記も見掛けます。音引や促音便なしで、アルファベットを字句通りカタカナに変換するのは、訳ではなく単なる変換だと思うのです。④この地図の総索引には地名にアクセント記号が記してあります。
DOP姓名辞典名前辞典道路地図④  また大きな百科事典にも、紛らわしい言葉には発音記号が付してあるものがあります。

Beliceはスィチーリアの“ベーリチェ”(地震で有名)ですが、複数形の地名Beliciは“ベリーチ”ですし、Salice Salentinoは“サーリチェ・サレンティーノ”ですが、カラーブリアのSalice Calabroは“サリーチェ・カーラブロ”と複雑です。またギリシア神話のテーセウス(Teseo)はギリシア語風に発音すると“テゼーオ”なのに、ローマ神話風だと“テーゼオ” だそうで、その使い方の区別が判りません。
  1. 2019/02/10(日) 09:49:58|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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