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イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ジョルジョーネ(1)

フィレンツェのジョルジョ・ヴァザーリ(Giorgio Vasari、1511.07.30アレッツォ~1574.06.27フィレンツェ)が書いた評伝『ルネサンス画人伝(Le vite de' più eccelenti pittori, scultori e architettori)』(平川祐弘・小谷年司・田中英道訳、白水社、1982年4月2日)の中に、ヴェネツィアの画家の一人、私が好きでその生まれ故郷のカステルフランコまで行った、ヴェネツィアで活躍したジョルジョーネについて書かれています(その町にジョルジョーネ美術館(ジョルジョーネの家)がドゥオーモ傍にあります。彼のデッサン、楽しいです)。下にこの書から一部引用しました。
ジョルジョーネヴァザーリ著「レオナルドの作品によって、フィレンツェが大いに宣伝された頃と時期を同じくして、ヴェネツィアでは、その市民の一人の優れた才能が、この町の美しさに少なからざる貢献を成し遂げている。この人物は、市民たちの敬愛おくあたわざるベリーニ兄弟はおろか、それまでにこの町で画筆を取ったいかなる画家をも、はるかに抜きん出ていた。彼こそ、トレヴィーゾ領内カステルフランコに一四七八年生を享けたジョルジョである。当時のヴェネツィア統領はジョヴァンニ・モッツェニーゴで、同じく統領をつとめたピエーロの弟にあたる。

画家は大きな体と寛大な心の持主であったため、のちに大きなジョルジョすなわちジョルジョーネと呼ばれるにいたった。生れは卑しかったが、終生礼儀正しかった。ヴェネツィアに育ち、常に女性を愛するのを好み、笛狂(リュートきちが)いで、生前笛をとって歌わせれば、絶妙な演奏で、貴紳の催す楽曲の集いにしばしば召し出されたほどであった。
……
一五〇四年、リアルト橋のかたわらにあるドイツ人商館に大火が発生、火は商品もろとも商館を焼きつくし、商人に大きな損害を与えた。ヴェネツィア政庁は再建を決定し、以前より住み心地のよい、豪華絢爛たる設備をそなえた建築がすぐに落成した。ジョルジョーネの名が高まっていたため、建築責任者たちは談合の末、彼に彩色壁画の制作を委嘱することを決定した。

この町の目抜きの美しい場所に、ジョルジョーネをして想像力を存分に羽ばたかせ、すぐれた作品を制作させ、実力のほどを披歴させることになった。この仕事を手がけるにあたって、ジョルジョーネは、幻想のおもむくままに人間を描き、芸術上の表現にのみ心を砕いた。

事実、首尾一貫した筋書の物語も、現代古代を問わず人口に膾炙した人物も描き出していない。絵は私の理解を越え、人にきき正してみても理解している人は皆無であった。あちらに女が一人、こちらに男が一人と、勝手なポーズをしているだけなのである。一方は獅子の首を横にしたがえ、他方にはキューピッドの姿をした天使がかしずいている。一体これが何を意味するのか判断がつきかねる。

メルツェリーアの方に抜ける正門の上には、腰をおろした女が描かれている。下方には死んだ巨人の首があり、ちょうどユデトのように、首を剣先で持ち上げ、下にいるドイツ人と話を交わしている。女にドイツを象徴させようとしている以外には、何を表わさんとしたのか私には見当がつかない。

人物像のまとまりが良くなり、進歩の跡が歴然としているのは確かである。頭部、顔、肉体の一部はすぐれた表現で、色彩は生き生きしている。他人の作の真似ではなく、実際にモデルを見て描き上げようとしたことは、彼が払った努力のすべての点からみても明らかである。この建物は、商人が利用したり、公共の用をなすためよりも、ジョルジョーネの仕上げた作品によって有名になってしまった。 ……(小谷年司訳)」
ドイツ人商館[ヴェ語Fontego Dei Tedeschi] 色大理石でファサードを飾るのは大変な費用が掛かり、絵画の比ではないと言います(ダーリオ館のファサード等)。ドイツ人商館の壁面に彼がティツィアーノと二人で描いた壁画は、長年故に剥落し、その痕跡は現在はアッカデーミア美術館に僅かな断片が保存されているだけだそうです。上の“モッツェニーゴ”のスペルは Mocenigo(モチェニーゴ)、“メルツェリーア”は Merceria(メルチェリーア)でしょうか。あまり見かけない表記法です。彼についての伝説を、2011.11.05日のコンタリーニ・ダル・ザッフォ館》(1、2)で触れました。ドイツ人商館については2016.02.11日のドイツ人商館で。
  1. 2019/05/24(金) 09:39:35|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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