イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

マリーア祭(3)

(続き)
「12人のマリーアは結婚する予定の娘の中から、6セスティエール(区)から2名ずつ選ばれ、最初、サン・ピエートロ・ディ・カステッロ大聖堂に、peata(ペアータ)と呼ばれる平底船で連れてこられ、そこで司教から祝福を受け、それからそのペアータで大聖堂の全聖職者とそのお付きの者が、サン・マルコ広場に戻ると総督宮殿に招かれる。
カルパッチョのリアルト橋[カルパッチョのリアルト橋]  最終的には Canalazzo(大運河)を大水上行列が、リアルト橋のドイツ人商館(Fontego dei Tedeschi)の所まで進んだ。総督はブチントーロ船で全廷臣を従えていた。マリーア達は、共和国が国費で彼女達の婚資として衣装や豪華な贈物を贈ったので、豊かになって帰宅することになった。

しかし年月と共に、事は悪い風潮に流れていった。というのは、窓からお金がばら撒かれるようになったからである。それは栄光の聖母マリア様のように、宝石と光輝くものを満載して練り歩くマリーア達に対してであった。サン・マルコの宝物殿の王冠や首飾りが借り出されなかった時でも、そうだった。こんな狂乱が2、3年も続く内に、総督や貴族達の気前のいい贈与品も枯渇してきた。

更にマリーアを選ぶのが競争者間の嫉妬と妬みのため益々困難になってきた。その選ばれる地位は余りにも大きなものになっていたのである。それ故程なくしてそれを最後に、はっきり分かるように手術を施す必要があった。こうして12人の乙女は、職人の上手な手技で作られた12体の木造人形に代えられた。それは木造だったので、祭が終わると倉庫に保管され、翌年には埃を払って再利用された。

しかし人々ががっかりしたのは明白で、彼ら流のやり方でそれに抵抗した。その上、その人形は非常に背高のっぽに作られていたので、le Marione(Maria の拡大辞 Mariona の複数)と呼ばれた。

更に次には、ある正直な商人がこのマリオーネよりもう少しましな、見栄えのいいものはないかと考え、その試作品を世に問うた。それはより小さな人形だったので、人々に大層気に入られ、le marionette と呼ばれた。

マリーアの祭は何とか暫く続いた。キオッジャ戦争(1380年)の時代、ジェーノヴァ人により共和国の命運が危ぶまれた時、この祭は不適当と判断され、廃止された。

しかし le Marionette(伊語の操り人形師の手で舞台下から操られる広場の操り人形と混同しないこと)は世間を独り歩き始めた。腕と足に紐が付けられ、邸宅や劇場に入り込んでいった。そして音楽劇の主人公にさえなった。

貴婦人、貴紳、医師、家庭教師、プルチネッラ、従僕、給仕、悪魔までが、木製の手と胴体で名声と幸運を呼んだ。土地の言葉にも入り込んできた。「ピエーロをご覧よ。彼はマリオネッタだ」(Varda el Piero, el ze na marioneta.)。今日でもよく言われるように、極端に大袈裟な身振りで喋りながら身を動かす人のことである。そこから意気地がないか、あるいは自分の利益のため、いつもそのためだけに行動する人を指すようになるには、後一歩である。」  (終わり)
  ――Armando Scandellari 著『ヴェネツィア伝説集』(Edizione Helvetia、1984)より
[Marione は Marie de tola[tavola と同根の言葉のようでasse(板)の意] とも言い、ヴェネツィア語に根付いた言葉で、今日でも何も知らない、冷たくて、面白くもない女性のことを Maria de tola(板のマリーア)と言うのだそうです。]
  1. 2009/02/07(土) 00:04:20|
  2. ヴェネツィアの伝説
  3. | コメント:2
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コメント

うん。このマリーア祭のはなしはすごく面白かったです。
このサイトにお邪魔すると、いつもヴェネツィアに行きたくなるので困ります。ペッシェクルードさんは今年も行くんですか?
  1. 2009/03/23(月) 15:49:30 |
  2. URL |
  3. September30 #-
  4. [ 編集 ]

September30さん、コメント有難うございました。
このマリーア祭(festa di dodici Marie)は、各区から2名ずつ、12人のマリーエを
選出し、カーニヴァルの時最終的に一人のマリーアを選ぶという美人コンテストの
ようです。10年以上前初めて見たカーニヴァル時にはあったのかどうか気が付きま
せんでしたが、今に蘇り、昨年もあり今年もあったようです。
今年は取り敢えずパリに行ってみようと思っています(イタリア以外は知らないもの
ですから)。
  1. 2009/03/24(火) 07:02:57 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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