イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――フリードリヒ・ニーチェ

百科事典等では思想家として取り上げられているフリードリヒ・ニーチェ(1844.10.15ザクセン州レッケン~1900.08.25ワイマール)のことを、ニューグローヴ音楽事典では「彼はピアノの演奏はプロ並みだったが、作曲は凡庸だった」と書いています。
フリードリヒ・ニーチェ[肖像、サイトから借用] ヴェネツィアの音楽に関する本を読んでいて、次のようなニーチェの一文に出会いました。《Se cerco un'altra parola per dire musica, trovo sempre e solo la parola Venezia.(音楽という言葉を口にする時、何かほかの言葉を探すとなれば、私がいつも思い付くのはヴェネツィアという言葉だけである)》、あるいは《Quando cerco un sinonimo della parola "musica", lo trovo solo nella parola "Venezia".》、と。

この言葉に遭遇した時、図書館でニーチェ全集に総当たりしてみました。その訳文は『この人を見よ(エクツェ・ホーモEcce Homo)
』(1888)の中の《なぜ私はこんなに利口なのか》の章第七節にありました。

「……誰が何と言おうと、私はドイツ人が音楽の何たるかを知りうるとは思えない。ドイツの音楽家と言われている人々、その中でも特に最大の音楽家と言われている人々は、みんな外国人、つまりスラブ人、クロアチア人、イタリア人、オランダ人などであるか――さもなければユダヤ人である。

そのどちらでもない場合には、たとえばハインリッヒ・シュッツとかバッハとかヘンデルのような強い種族のドイツ人であるが、この種族はもう死に絶えてしまっている。私自身だって今なお、かなりの程度までポーランド人だからショパンのためならほかの音楽は全部くれてやってもいいと思う。

ほかの音楽は全部くれてやるとは言ったが、しかし三つの理由から、ヴァーグナーのジークフリート牧歌は例外とする。それからすべての音楽家を凌駕する高貴なオーケストラ的アクセントを持っているリストのもの若干。最後にアルプスのかなたで生育した音楽全部。

これだけは例外だ――もっともアルプスのかなたとは言ったが、今の私から言えばアルプスのこちらになるわけだが……私はロッシーニの音楽がなかったらどうしていいかわからなくなるだろうし、それ以上に、音楽における私の南国、すなわちわが親愛なるヴェネツィアの楽士ピエトロ・ガスティ[ニーチェの弟子の音楽家Peter Gast]の音楽なしではすまされない。

そもそも私がアルプスのかなたと言うとき、じつはそれはヴェネツィアだけのことを言っているのである。音楽を言い表わすための語として、音楽という語のほかに何かあるだろうかとどんなに探してみても、私としてはヴェネツィアという語しか見つからない。

私は涙と音楽とを区別するすべを知らない――私は幸福を、南国を、恐怖におののくことなしに考えるすべを知らない。

橋のたもとに私は立った
ついこの間、鳶色の夜のこと。
遠くから歌声が聞こえて来た、
湧きいでた黄金(こがね)のしずくさながらに
きらめく水面(みのも)を流れて行った。
ゴンドラと、ともしびと、楽の音()と――
酔いしれて薄闇へ漕ぎ出て行った……
私の心の琴線(いと)も
目に見えぬ手に触れてか
ひそやかにゴンドラの歌にあわせて歌い始めた、
あやなす至福に震えながら。
――誰かそれに聞き入る人があっただろうか?」
  ――『ニーチェ全集』第14巻《この人を見よ・自伝集》川原栄峰訳、理想社、昭和42年4月25日発行より

この一文を目にし、私にとってもヴェネツィアが次第に音楽の代名詞になっていきました。フィレンツェで創始されたオペラを発展させたサン・マルコ寺院楽長クラウディオ・モンテヴェルディ、そしてそれを大衆化したヴェネツィアという町。

ニーチェはヴェネツィアで体調を崩し、友人の Peter Gast に付き添われて国へ帰って行きました。その時、ヴェネツィアからの帰省列車の中で座席に横たわり、上記の自作の詩に作曲をした歌を口ずさんでいたそうです。
  1. 2009/02/14(土) 00:01:41|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
  3. | コメント:2
<<文学に表れたヴェネツィア――ジョルジョ・バッサーニ(1) | ホーム | マリーア祭(3)>>

コメント

こんにちは!

今日は、素敵な詩と言葉を読ませていただきました!
ニーチェなんて、私などには到底硬くて難しくて、近づこうという気にも
ならない存在でしたが、この詩も、ヴェネツィアと音楽を同一視している言葉も
素敵ですね。
ワーズワースの、セレニッシマへのオマッジョとともに、大切にいたします。
有難うございました!
  1. 2009/02/18(水) 23:15:40 |
  2. URL |
  3. shinkai #-
  4. [ 編集 ]

コメント、有難うございました。
ニーチェがこれ程までにヴェネツィア好きだったとは、私も知りませんでした。
音楽好きの彼は、ヴァーグナーの音楽に惹かれ、友人だったようですが、後期には
ヴァーグナーとも袂を分かったようです。そのヴァーグナーもイタリアを9度旅し、
6度はヴェネツィアを訪れ、そのヴェネツィアの、大運河沿いに建つヴェンドラミ
ーン・カレルジ館で亡くなりました(彼もヴェネツィア好きだったのでしょう)。
将来ヴァーグナー博物館としてオープンするために、彼が亡くなった時の現状を
今でも保存しているという話を読んだことがあります。
  1. 2009/02/19(木) 11:24:45 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #j9tLw1Y2
  4. [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

カウンタ

カレンダー

05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

最近の記事+コメント

カテゴリー

ブログ内検索

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

このブログをリンクに追加する

過去ログ

フリーエリア