イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――ジョルジョ・バッサーニ(1)

1987年製作のジュリアーノ・モンタルド監督の映画『フェラーラ物語(Gli occhiali d'oro)』をご覧になった方も多いと思います。原作はフェッラーラに住んで、フェッラーラを描いたユダヤ系作家ジョルジョ・バッサーニ(1916.03.04ボローニャ~2000.04.13ローマ)が、1958年に発表した『金縁の眼鏡』でした。
『Dentro le mura』『Cinque storie ferraresi』『Dentro le mura』の改訂版が『Cinque storie ferraresi』ですが、《Gli occhiali d'oro》は含まれていません
仏人俳優フィリップ・ノワレが主人公の同性愛者のユダヤ人医師ファディガーティを好演し、金縁眼鏡の奥に悲しみを湛えた寂しそうな目線での演技が忘れられません。

バッサーニは幾つかの映画にも関わりを持ったようで、例えば日本でも評判を呼んだソフィーア・ローレン主演の映画『河の女』(マーリオ・ソルダーティ監督、1954)で、後には映画監督デビューするピエール・パーオロ・パゾリーニらと脚本家の一員として名を連ねています。
ジョルジョ・バッサーニ[サイトから借用] 彼の主要作品の一つ『フィンツィ・コンティーニ家の庭(Il giardino dei Finzi Contini)』(1962)は、日本でもかつて次のような形で出版されました。大空幸子訳『フィンツィ・コンティーニ家の庭』(新潮社、1969.12.15発行).
「フィンツィ・コンティーニ家の庭』フェッラーラのユダヤ人一家、ミコル、アルベルト、エルマンノ教授、オルガ夫人というフィンツィ・コンティーニ家の人々を《わたし》の目から描いた小説で、そのオルガ夫人がヴェネツィアのヘルレラ家出身で、夫人の兄弟達がヴェネツィアに住んでいることもあり、主人公のミコルはヴェネツィアに度々顔を出します。

「……ミコルがラッティミに熱中しだしたのは、ヴェニスでのことだった。彼女は何時間も骨董品屋をめぐり歩いた。とくに、サント・ステファノ周辺のサン・サムエレ地区とか、そのしもの駅の方にあるゲットーのなかとかを――ここはもっぱら売るのが目的であった。

ジュリオ、フェデリコ両叔父はサン・モイゼ近くのクリスト小通りに住んでいた。夕方になると、ほかにすることもなかったので、むろん家庭教師のブレーメンフェルド嬢(フランクフルト・アン・メン[現在、フランクフルト・アム・マインと表記されています]出の口うるさい六十歳くらいのドイツ人で、もう三十年以上イタリアに住んでいた。まことに厄介な存在であった!)につきまとわれてだが、よくマルツォ22番街にラッティミ狩りに出かけた。

サント・ステファノ広場はサン・モイゼのすぐそばであった。がゲットーのあるサン・ジェレミアにはそう簡単にはいけない。サン・バルトロミオとリスタ・ディ・スパーニャを通らねばならない。サン・モイゼから歩いて三十分はかかるほど遠かったのだ。

しかし近道をすると、グラッシ劇場とグランデ運河[Canal Grande=大運河]を横切り、フラーリの方に出て……だが、ここで彼女はラッティミの方に話を引き戻した。……」 (――第三章の一から)
『映画100年 STORY まるかじり』追記=柳沢一博著『映画100年 STORY まるかじり―イタリア映画 快作210本』(朝日新聞社、1994年11月30日)によりますと、この作品はヴィットーリオ・デ・シーカ監督、ドミニク・サンダ主演で、1971年『悲しみの青春』という題名で一般公開されたそうです。
  1. 2009/02/21(土) 00:02:48|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
  3. | コメント:2
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コメント

フィンツィ・コンティーニ家の庭・・・若い頃に見た映画ですが、塀を乗り越えて降り立った彼が、愛する(と思っている)彼女が他の男に抱かれている場面を見てしまう、その彼の哀しみを、そのまま自分の哀しみのように感じたのを覚えています。それとなぜか、テニスコートのシーンは印象的でしたね。
  1. 2009/03/19(木) 02:19:42 |
  2. URL |
  3. september30 #-
  4. [ 編集 ]

septemberさん、教えて頂いて有難うございました。
この映画、私は見ていません。『悲しみの青春』という題で、懐かしい仏女優
ドミニク・サンダ主演の、デ・シーカ監督の映画だったそうですね。早速、
ヴィデオ屋さんで探して見てみたいと思います。
あなたが二中で私の妹らとやっていたテニスの場面は重要だったそうです。この
作品、あまりに記憶がないので、また読み直してみます。
  1. 2009/03/19(木) 10:12:23 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

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Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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